vol.18「歌舞伎」について


さて、お次は「歌舞伎」について。歌舞伎が今の歌舞伎になるまでは、わりと歴史や背景があるようで。「かぶき」という言葉の語源を辿ると、戦国時代にまで舞い戻ることになるのだとか。では、踊りながら戻ってみましょうず。



● 「かぶき」という語は、「傾(かぶ)く」という動詞から出た言葉で「傾奇」とも書かれるごとく、常軌を逸した行為・精神・風俗を意味していた。徒者(いたずらもの)と呼ばれたものも同類で、ことに関ヶ原の戦以後大坂の陣前後にかけて、京都で目立って流行した。

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と、要するに「変わり者」とか「はみ出し者」とか「異端児」的なヤツのことを指すわけで。その意味では、豊臣秀吉だって「人たらしの傾奇者」ってことになるらしい。その中でも特に名前だけやたらと売れている「前田慶次(まえだ けいじ)」なる人物が、検索にちょいちょい引っかかってくる。



● 北斗の拳の作者が描いたマンガ『華の慶次』で有名だが、あいにく私は読んでない。誰だ前田慶次って、と調べてみるが、なんと本名ではないと来る。穀蔵院 飄戸斎(こくぞういん ひょっとこさい)なんてフザけた別名まである。どうも出自もはっきりしておらず、虚実入り混じった多くの逸話により「天下御免の傾奇者」と囃される一方、高い文化的素養を備えた文人武将でもあったとか、ないとか。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/前田利益


こんな調子で得体の知れないところが、まさしく「かぶき者」という言葉を象徴してるのかもしれない。良いヤツなんだか、悪いヤツなんだか、勝手なヤツなんだか、律儀なんだか、よく分かんないんだけど、破天荒でチョイ悪なとこがカッコイイそれが定義のような気がする



そうしたベースがある上で、戦国の世が終わり、行き場をなくした牢人たちが、時代遅れになった武士道と、反体制精神を持て余し「第二次かぶき者」になるわけだが、やってることはヤンキーやチンピラと大差ないので、カッコ良さとしては前期より数段劣るし、被害者の庶民はたまったもんじゃない。勿論、幕府はこれを取り締まるが、そもそもの牢人製造機なのは幕府自身であるから困りもの(改易で武士の大量リストラを発生させたせい)。てことで、後に4th家綱と5th綱吉が文治政治で何とかしようと頑張るわけ。


されど、大衆とは不思議なもので、自分にさえ害が及ばなけば、チョイ悪な奴らがカッコイイと思っちゃう傾向があるらしく、なんなら体制に楯突いてルール無視する輩をアンチヒーロー的に憧れちゃったりしたようで。しかも、そいつらが派手な衣装で目立ってたりすると、ますます「カッケー!」とかなる始末。けど、分からんでもないその心理。今でもヒーロー映画で、そんなキャラいるもんね(ウルヴァリンとか、デッドプールとか、キャットウーマンもそうかな。なんならジョーカーなんてヴィランだけどまさに傾奇者



● そんな折、傾奇者をテーマに「かぶき踊り」なる発明をした出雲の阿国(いずものおくに)という女性が現るる。阿国の踊りは、テーマ通りに型はずれなセクシーダンスで、さぞや人気を博したそうな。ブームはすぐに広がり、京都で誕生した「かぶき踊り」は、江戸でも人気を集めるようになり、遊女を含めた女性たちによる歌舞伎「女歌舞伎」や、少年たちの「若衆歌舞伎(わかしゅうかぶき)」が始まることに。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/出雲阿国



● でも、1652年ごろ、幕府から「セクシー過ぎて風紀を乱す」という理由で、女性や少年の役者による歌舞伎が禁止され、代わりに「野郎歌舞伎(やろうかぶき)」と呼ばれる、成人男性役者による形式が確立しはじめる。その過程で「女方(おんながた)」も生まれ、今日の歌舞伎の基礎ができ上がった。この時代になると歌舞伎は大きく変わり、役者の外見だけではなく演技のうまさや、演出で客を惹きつける傾向に。歌舞伎を成り立たせているのは芝居、踊り、音楽。この3要素で楽しませることを追求し、ひとつの総合芸術にまで磨き上げていった。


例えば、当時、江戸の歌舞伎では「初代・市川團十郎」によって創始された「荒事(あらごと)」と呼ばれる、荒々しく豪快な演技・演出を得意とする役者が人気を集めた。こうして、江戸時代前半に歌舞伎は徐々に盛り上がりを見せる。

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こうした経緯で「かぶき踊り」が、いつしか「歌舞伎」に変化して、次第に芝居小屋で演じられるようになり、今の歌舞伎座にまで残るのである。綱吉の時代である元禄文化期には「近松門左衛門」が新しい風を吹き込み、さらに歌舞伎は庶民から人気を得て発展するのであった。めでたし、めでたし、、と思いきや!



初代市川團十郎、殺されます。



しかも演目中に舞台上での刺殺です犯人の動機も真相も謎です。殺された理由も庶民には理解できないまま消えてゆくあたり、さすが「かぶき者」です。近隣の住民は、人気者の突然の死に驚きを隠せず、得体の知れない不安な夜を過ごしています。それでも、庶民の憧れの生き方を反映した歌舞伎は、決して廃れずに、人々の心に生き続けることでしょう。現場からは以上です。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/市川團十郎_(初代)




● マメ知識メモ

2月20日は「歌舞伎の日」。その由来は、約400年前のこの日、徳川家康が「かぶき踊り」を初めて観賞したとされることにあります。この舞踊を踊ったのは、一人の女性である「阿国」でした。とさ。ちなみに私の誕生日でもある(要チェック)。

一般社団法人 江戸町人文化芸術研究所

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