vol.143「アーネスト・サトウ」について2025.09.04 20:30祝!ブログ継続2周年!5日に1記事アップを自分に課してから無事3年目に突入いたしましてにございますよ。去年の今日が「大塩平八郎の乱」についてだったので、いかに幕末の長いことか。。そんな話題に事欠かぬ混乱極める幕末ですが、ついに天下泰平の象徴である江戸城が陥落してしまいましたね。。...
vol.142「江戸無血開城」について(後編)2025.08.29 20:05西郷が徳川方の事実上の骨抜き回答という不利な条件を飲み、進撃を中止した背景には、英国公使ハリー・パークスからの徳川家温存の圧力があり、西郷が受け入れざるを得なかったとする説がある。
vol.141「江戸無血開城」について(前編)2025.08.24 20:00慶応4年(1868年)一月。勝海舟は、氷川の自宅でゴロゴロしておった。このころ名目的に軍艦奉行ではあったが、弟子の坂本龍馬が不審な動きをしていたことを咎められ、実際には閑職であったそうな。するとそこに、突然、登城せよとの連絡が。「何言ってんでぇ、俺ぁいかねえよ」まさか鳥羽伏見で徳...
vol.140「神戸・堺事件」について2025.08.19 20:10壮絶なことになってきやがった。。⚫︎ 神戸事件慶応4年1月3日(1868年1月27日)、戊辰戦争が開戦、間も無く、徳川方の尼崎藩(現・兵庫県)を牽制するため、明治新政府は備前藩に摂津西宮(現・西宮市)の警備を命じた。備前藩では1月5日までに2,000人の兵を出立させ、このうち家老...
vol.139「鳥羽・伏見の戦い」について(後編)2025.08.14 20:00錦の御旗の登場により、旧幕府勢力が賊軍と認知されるに及び、佐幕派諸藩は大いに動揺。淀藩の裏切り1月5日午後、淀城下は鳥羽街道方面から後退してきた旧幕府軍部隊と伏見街道方面から後退してきた旧幕府軍部隊が合流し、過密状態であった。旧幕府軍は淀城を拠点にして新政府軍を迎え撃つべく、淀藩...
vol.138「鳥羽・伏見の戦い」について(中編)2025.08.09 20:00激しく殺し合っております!⚫︎ 伏見方面での戦闘1月3日、伏見では本来鳥羽街道方面の指揮官であった陸軍奉行・竹中重固が伏見に転じて指揮を執っていた。竹中重固は伏見奉行所を本陣とし、会津藩兵が奉行所の北西に位置する東本願寺伏見別院を駐屯地としており、旧幕府軍部隊はこの二箇所を中心と...
vol.137「鳥羽・伏見の戦い」について(前編)2025.08.04 20:15もう、どうにも止まらない〜。⚫︎ 徳川慶喜への再入京の朝命京都から越前藩士・中根雪江や、尾張藩の者ら4、5人が大阪へきて、朝命によって慶喜へ再び京都へくるよう勧めた。慶喜は「では軽装(少数のお供だけを連れての朝議参内)で京都へ行こう」と考えたが、会津藩・桑名藩やほかの旗本の者らが...
vol.136「江戸薩摩藩邸の焼討事件」について2025.07.29 20:20始まったか…!! ( ゚д゚) ガタッ⚫︎ これまでの経緯勤皇派取締りの強化文久3年(1863年)4月、庄内藩は高崎藩、白河藩、中村藩とともに、江戸幕府から江戸市中の警備を命ぜられ、以降、攘夷派の取り締まりに実績を上げていた。この時期、前将軍徳川慶喜をはじめとする幕府の幹部は...
vol.135「慶喜の後悔」について2025.07.24 20:30まさかの「大政奉還」というどんでん返し、に続き「王政復古の大号令」という更なるどんでん返し、で再びピンチは慶喜のターン。これにはさすがの慶喜も困りに困って窮した様子。もしかして詰んだか? 詰みなのか?⚫︎ 二条城から大坂城への移徙王政復古の大号令の翌10日、徳川宗家の親族で小御所...
vol.134「王政復古の大号令」について2025.07.19 20:15慶喜による急転直下の「大政奉還」によって、実はピンチになってたのは西郷どんの方。ニセの討幕の密勅までこしらえたのに、討つべき幕府がなくなってしまったのでは、討てるもんも討てない状況に。さすがクセもの慶喜ナイスな切り返し。慶喜vs西郷どんのバチバチ頭脳戦もいよいよクライマックス!
vol.133「油小路の変」について2025.07.14 20:10リョーマ暗殺の濡れ衣を着させられそうになってる近藤イサミン。当然ながら怒ります。「はぁ? うちらやってねーし! テキトーな捜査で決めつけてんじゃねーぞこら! ちゃんと証拠掴んでからおととい来やがれ馬鹿野郎! だいたい今うちら別の奴を殺そうとしてるとこだからそんな暇ないっちゅーの!...
vol.132「近江屋事件」について(後編)2025.07.09 20:15上司「、、ふぅ。で、ホシの目星は」はい。まず、現場に残されていた刀の鞘を調べたところ、新撰組隊士「原田左之助」の物であると御陵衛士から証言がとれました。また、刺客が「こなくそ」と伊予弁を話し、新撰組の原田左之助や大石鍬次郎らが伊予出身であることや、さらに、熱があったとはいえ、北辰...