vol.87 『超現代語訳幕末物語』を読んで(中編)

https://ja.wikipedia.org/wiki/フルベッキ群像写真

( ↑ ウソばっかなので信じないようにw)



さて、ここらでもう一度、幕末の登場人物らの確認、予習をしておこう。という訳で、2023年10月5日に書いた超現代語訳幕末物語』を読んで(前編)の続きを、ようやく書くに至る。実に1年を超えるブランクであるが、ちゃんと伏線を回収する私ってば真面目。


てゆーか、ブログを書き始めた当初は、読んだ本の順にまとめを書いてゆくつもりだったのだが、いきなり幕末に手を出してしまってワケが分からなかったので、家康から出直すことにしたのである。そしたら戻ってくるまで1年かかっちゃった。


けど、やっぱりそれまでの経緯を理解してからの方が幕末の動乱は面白いし、味がある。お上に向かって弓引こうなんざ、3rd家光時代の「島原の乱」と4th家綱時代の「由井正雪の乱」以来、200年以上なかったことで、大老暗殺なんてあり得ないことが続々起きてゆくからこその緊張感なのだ。もちろん、倒幕を目指す志士たちも、まさかここから10数年で徳川幕府を本当に倒せちゃうなんて思ってもないわけで。故に、それぞれの信念と命を賭けた覚悟のほども、より熱く感じられると言うもの。


しかしまあ、なんでこんなことになっちゃったかな〜。黒船来航は避けられない時間の問題だし、仕方ないことだったけど、やっぱ「阿部正弘ッチ」が個々の考えを聞いちゃったことと「水戸のバカ斉昭」が幕府に楯突く悪い見本をみんなに見せちゃったせいかな〜。おかげで、ほら、各藩から ↓ こんな志士たちがうじゃうじゃ湧いて来ちゃったじゃんか。どーすんのこれ。




坂本 龍馬 さかもと りょうま(土佐藩 志士)

勝海舟と出会うことによって世界の大きさを知った坂本龍馬は、1862年(文久2年)から1867年(慶応3年)までのわずか5年の間に、薩長同盟の締結や大政奉還に貢献し、亀山社中(海援隊)を組織。そして31歳の若さで暗殺され散っていった。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/坂本龍馬



桂 小五郎 かつら こごろう(長州藩 志士)

小五郎が、得意の上段に竹刀を構えるや否や「その静謐な気魄に周囲が圧倒された」と伝えられるほどの剣豪。「長州に桂小五郎あり」と広く名前を知られていたが「八月十八日の政変」が勃発すると幕府から追われる身となり「木戸孝允」に改名。坂本龍馬の仲介で、西郷隆盛と薩長同盟を結ぶ。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/木戸孝允



高杉 晋作 たかすぎ しんさく(長州藩士)

久坂玄瑞とともに「松下村塾の双璧」と呼ばれる吉田松陰の愛弟子。イギリス公使館を焼き討ちしたり「奇兵隊」を組織したり、とにかく血の気が多くて過激な尊攘派。戦にめっぽう強く、長州討伐の際には幕府軍を次々と打ち負かしてしまう。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/高杉晋作



久坂 玄瑞 くさか げんずい(長州藩士)

吉田松陰の門下で,高杉晋作と双璧をなした。藩論を公武合体から尊王攘夷に一変させ、イギリス公使館焼打ち事件、下関の外国船砲撃(下関事件)に参加し、大和行幸奏請に尽力。禁門の変で藩兵を率いて上洛したが,負傷して自刃。長身&美声のイケメンで有名。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/久坂玄瑞



武市 半平太 たけち はんぺいた(土佐藩 浪士)

土佐勤王党」とか言うバリバリ攘夷派グループのボス。岡田以蔵ら四大人斬りを束ねて暗殺しまくるヤバい奴。おかげで京都はテロの街に。ヴィランですなー笑。

https://sengoku-his.com/1153



岡田 以蔵 おかだ いぞう(土佐藩 郷士)

幕末四大人斬りの一人で「人斬り以蔵」として恐れられた男。土佐勤王党に加盟し、武市半平太に命ぜられるままに暗殺を行う。一時は坂本龍馬の紹介で勝海舟の護衛を務め、勝海舟が京の夜道で刺客に襲われた時、命を救っている。剣の才は非凡ながらも、学がなかったため暗殺の道具のように使われたらしい。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/岡田以蔵



田中 新兵衛 たなか しんべえ(薩摩藩 志士)

寺田屋事件」で同志を失った新兵衛は上洛し「天誅」と称した要人暗殺を次々と行いながら、武市半平太ら土佐勤王党を後ろ盾にして京都を闊歩。尊王攘夷派から離反した公卿までも手にかけ、幕末を代表する人斬りの一人として京都を震撼させた人物。人斬りブームの火付け役でもあった。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/田中新兵衛

https://sengoku-his.com/1163

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=ZGU60l1t-a4



河上 彦斎 かわかみ げんさい(熊本藩士)

兵学者の佐久間象山を暗殺するなど「人斬り彦斎」とも呼ばれ、他にも多数の暗殺を行ったとされる。漫画『るろうに剣心』の主人公、緋村剣心のモチーフとなった。インターネット等で拡散している「河上彦斎の写真」は別人である。河上彦斎の写真は1枚も確認されていない。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/河上彦斎



中村 半次郎 なかむら はんじろう(薩摩藩士)

天誅行動で鳴らし「人斬り半次郎」の異名を持つ。兵学者で自らの師でもある赤松小三郎を暗殺。明治維新後に「桐野 利秋(きりの としあき)」と改名し、大日本帝国陸軍少将を務めた。その後、西南戦争において反乱軍として政府軍と交戦の末、額に銃弾を受け戦死した。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/桐野利秋



島津 久光 しまず ひさみつ(薩摩藩10代藩主)

斉彬の没後に、大久保利通の推しで西郷どんを謹慎解除し引き入れるも、西郷どんにボロクソ言われ、超険悪に。朝廷に改革を訴えるため京へ向かったら「薩摩が幕府倒すってよ」と勘違いした攘夷派が大盛り上がり。朝廷から攘夷派鎮圧を頼まれ、薩摩志士同士の「寺田屋騒動」勃発。なんでこーなるんだよ!とイライラして西郷どんを島流しの刑に。とりあえず暴走した攘夷派を鎮めて、朝廷から圧をいただき幕府に「文久の改革」をさせて満足した帰り道に「生麦事件」を起こして、また攘夷派を盛り上がらせちゃう、というコントを繰り広げてくれる。しかも薩英戦争でイギリスにボコボコにされるし、ドジで笑える。しかし何気にそれら行動が、未来を左右させたキーマンと言えばキーマン。

https://bushoojapan.com/jphistory/baku/2022/12/05/109031



清河 八郎 きよかわ はちろう(庄内藩志士)

「薩摩、幕末倒すってよ」のウワサ流し犯人で、その後治安の悪くなった京都を守るという体で、腕の立つ剣士を集めて「浪士組」を結成するも、そのまんま目的を攘夷にすり替えちゃう策略家。けど「話ちげーし」つって抜けた剣士らが「新撰組」となり幕府を守る側となる。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/清河八郎



芹沢 鴨 せりざわ かも(新撰組初代局長)

清河八郎の呼びかけにより、14th家茂の上洛警護を目的として集められた浪士組に参加。しかし、浪士組の本当の目的が尊王攘夷運動の決行にあることが分かると、浪士組は分裂。近藤勇らの一派と共に京都に留まり「壬生浪士組(のちの新撰組)」の初代局長となる。剣の腕は相当だったが、酒乱や自制心の欠如など、致命的とも言える短所のある荒くれ者で「近藤勇」や「土方歳三」らによって「こいつヤバすぎるだろ」と暗殺される。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/芹沢鴨



⚫︎ 松平 容保 まつだいら かたもり(会津藩9代藩主)

徳川秀忠と浮気相手「お静」の間の子である「保科正之(ほしな まさゆき)」が、3代将軍家光に優遇され会津藩を与えてもらった恩義から「会津は徳川家に尽くすべし」という鉄の家訓を残したせいで、乱暴な攘夷派から京都を守る役をやらされるハメに。

https://www.touken-world.jp/history/history-important-word/matsudairakatamori/




、、うーん。なんか「志士」っ言うよりも「ただ暴れたいだけだ士」みたいな奴らもチラホラいますな。こんな奴らが街で自由に刀振り回してるとか、どんだけカオスなことになっちゃってんのよ幕末。井伊直弼の暗殺がやっぱ皮切りになってしまったのだろうか。200年超えの秩序はどこさ行ってしまっただ? ついこないだまで、町人の商売が賑わう好景気ムードだったべさよ?


たぶん、長らく活躍できなかった武士たちが、ここぞとばかりに剣の腕を奮う機会を得て、変な正義感スイッチ入っちゃったんでしょーね。集団ヒステリーですよ。もうこりゃどーにもならんぜよ。。

一般社団法人 江戸町人文化芸術研究所

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