vol.186「太田道灌ゆかりの神社」を巡って(後編)


まだまだあるよ、太田道灌ゆかりの神社。道灌さん神社すきねー。まあ、攻め込まれた時の拠点づくりの意図が大きかったろうし、それだけこの時代は不安定だったってことすね。なんせ28年も「享徳の乱」てのが続いてたんだから、そりゃ気も抜けない年月なわけで。神仏にも祈らずにいられませんわな。




● 椙森神社

椙森神社の創建は、社伝によれば平安時代に平将門の乱を鎮定するために藤原秀郷」が戦勝祈願をした所といわれる。室町中期には、江戸城の太田道灌が雨乞い祈願のために山城国(京都府)伏見稲荷の伍社の神を勧請して厚く信仰した神社である。


そのために江戸時代には、江戸城下の三森(烏森・柳森・椙森)の一つに数えられ、椙森稲荷と呼ばれて、江戸庶民の信仰を集めた。しばしば江戸城下等の火災で寺社が焼失し、その再建の費用のために、有力寺社で宝くじである富興行が行われ、当社の富くじも人々に親しまれていた。


現在でも毎月13日と10月3日の「富の日」には、宝くじ当選を祈願する人々が参拝に訪れる姿が見受けられる。例大祭は5月15日・16日。10月19日・20日の恵比寿祭では、同社から徒歩約5分の「宝田恵比寿神社」でも例大祭を開き、一帯にべったら漬けの露店販売や100以上の屋台が並ぶ「べったら市」が開催されている。


ちなみに私の会社から超近いが、お参りしたら平将門に祟られたら怖いのでやめておいた。




● 櫻木神社

文明年間、太田道灌が江戸築城の際、菅原道真公の神霊を京都北野の祠より同城内に勧請せられたのがはじまり。のち、二代将軍秀忠の時代に湯島の台坂上なる旧桜の馬場の地に遷座。


元禄三年(1690年)、五代将軍徳川綱吉が同所に湯島聖堂を中心とする昌平坂学問所を設立するにあたり、翌年(1691年)、現在地である本郷の富元山真光寺境内に遷座し、現在に至る。


櫻の馬場は、神田明神と近いためもあって、その祭礼においては、幕末の頃は氏子の山車が三十余体もこの所に勢ぞろいして町に練りだし、神田や丸の内方面を渡御したといわれている。




● 根津神社

日本武尊が東制の途中、千駄木の地に須佐之男命を祀ったのに始まる古社で、文明年間に道灌公が社殿を再興した。


五代将軍「綱吉」は、兄「綱重」の子「綱豊(六代将軍家宣)」を養嗣子と定めると、家宣の産土神である根津神社にその屋敷地を献納、世に天下普請と言われる大造営を行った。宝永3年(1706)完成した当時の権現造りの社殿、唐門、透塀、楼門、透塀等の建物が全て現存し、江戸時代の代表的な建築として、国の重要文化財に指定されている

境内地となる以前、綱吉の兄・甲府藩主綱重の下屋敷だった頃、屋敷西側の丘につつじの名所館林よりキリシマツツジを移植したことに始まり、つつじヶ岡と呼ばれる府内の名所であった。現在のつつじは、戦災で被災した社殿の修復が終わった後、荒れていた丘に3,000株を増植したもので、昭和45年より「文京つつじまつり」を催しており、花季に100種3,000株のつつじが色とりどりに咲き移る。


★ 文京つつじまつり 4月1日~4月30日ごろ https://nedujinja.or.jp/tsutsuji/




● 湯島天満宮

雄略天皇2年(458年)、勅命により創建されたと伝わり、当初の祭神であった「天之手力雄命(あめのたぢからをのみこと)」に加えて、南北朝時代の正平10年(1355年)2月に郷民が菅原道真を勧請した。


文明10年(1478)、太田道灌公が再建し、江戸時代には幕府の崇敬・庇護を受け、江戸・東京における「天神信仰」の中心となった。学問の神様として知られる菅原道真を祀っているため、受験シーズンには多数の受験生が合格祈願に訪れ、普段からも学問成就や修学旅行の学生らで非常な賑わいを見せている。


江戸時代から梅の花見の名所であり、毎年2~3月に「梅まつり」が開かれている。菅原道真が太宰府に向かう際に自宅の紅梅殿で詠んだ名歌 ↓


 東風(こち)吹かば 匂いおこせよ 梅の花
  あるじなしとて 春な忘れそ


↑ の中の梅の木が、道真公を慕って一夜のうちに太宰府に飛来したと伝えられる”飛梅伝説”(とびうめでんせつ)など、道真公と梅にまつわる話が多く残っている。


★ 第69回文京梅まつり 令和8月2月8日(日曜日)~3月8日(日曜日)

https://www.city.bunkyo.lg.jp/b014/p003950.html




● 市ヶ谷亀岡八幡神社

太田道灌が文明11年(1479)、江戸城築城の際に西方の守護神として鎌倉の鶴岡八幡宮の分霊を祀ったのが始まりである。「鶴岡」に対して亀岡八幡宮と称した。当時は市谷御門の中(現在の千代田区内)にあった。


江戸時代に入り寛永13年頃(1636年頃)に江戸城の外堀が出来たのを機に現在地に移転。 市谷亀岡八幡宮は三代将軍・徳川家光や桂昌院などの信仰を得て、神社が再興された。江戸時代には「時の鐘」があり、境内には茶屋や芝居小屋なども並び人々が行き交い、例祭は江戸市中でも華やかなものとして知られ、大いに賑わったという。





● 赤城神社

鎌倉時代の正安2年(1300)、上野国赤城山の麓から牛込に移住した「大胡彦太郎重治」により、牛込早稲田の田島村に創建されたと伝わる。 寛正元年(1460)、江戸城を築城した太田道灌により牛込台に移された。その後、弘治元年(1555)、大胡宮内少輔により現在地に移される。江戸時代には徳川幕府によって江戸大社の一つとされ、牛込の鎮守として信仰を集めた。


平成21年(2009年)から22年にかけて「赤城神社 再生プロジェクト」と銘する工事が行われた。三井不動産レジデンシャルが約70年の定期借地権を設定して神社から土地を借り、神社の建て替えとともに敷地内に分譲マンションを建設、建物内にホールやギャラリーなどの施設を併設するというもの。


マンションの内外にも神社と調和する意匠が施され、境内の既存樹木についても、一部については保存・活用が図られた。2011年度グッドデザイン賞を住宅部門とビジネスソリューション部門の両方で受賞。




● 諏方神社

1202年(元久2年)に創建された。豊島経泰が諏訪大社から勧請したという。文安年間(1444年~1499年)に、太田道灌より社領の寄進を受け、その後、徳川三代将軍家光から社領5石の朱印を与えられ江戸幕府も追認した。江戸時代は谷中町や日暮里村の総鎮守として崇められており、谷中町を担当していた町火消「れ組」が奉納した鳥居や狛犬が現存している。




● 荻窪八幡宮

創建は、寛平年間(889年-898年)と言われている。その後の永承6年(1051)に「源頼義」が、奥州の「安倍貞任」征伐の途中でここに宿陣して戦勝を祈願し、後の康平5年(1062)に凱旋の折、神恩に感謝して盛大な祭を行い、当社を厚く祀ったと言われている。

文明9年(1477)江戸城主であった太田道灌は「上杉定正」の命をうけ、石神井城主「豊島泰経」を攻める際に、この故事にならってこの神社に武運を祈願した。この時植えた高野槇の樹1株が、2015年現在も神社の境内にそびえる「道灌槇」で、御神木として崇められている。





● 西久保八幡神社

寛弘年間(1004年~1012年)「源頼信」によって霞ヶ関のあたりに創建され、室町時代の武将で江戸城主となった太田道灌が現在の地に遷したと伝えられる。慶長5年(1600)、関ヶ原の戦に、崇源院は戦勝と安全を祈願し、その報賽として寛永11年(1634)社殿を造営した。度々、火災に遭い、宝物・旧記等をことごとく失った。




まだまだあってキリがないので、紹介は以上。

道灌さん神社つーくーりーすーぎーー。まさに享徳の乱28年をかけたライフワークなだけありますね。こんだけ神頼みしたのに最後は暗殺されるって。ご利益ないやん(笑)とか思うのは野暮なので言いっこナシですね。



一般社団法人 江戸町人文化芸術研究所

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