同じ作者繋がりで、つい幕末ジャンルに手を出してしまったが「末期より 初期から中期を 学ぶのが 筋であろうと 立ち帰へりけり」と、たまたま五七五七七になった和歌もどきを口ずさみつつ、ふりだしに戻って、初代将軍「家康」について調べ始める。
「どうする家康」で、お万の方にお手つきして、妊娠させちゃって、正室の築山殿にむっちゃ怒られて、ってな流れは知れたわけだけれど、その次男くんがその後どうなったのかを知ってる人は少ないのでは? そもそも私なんかは、二代目「秀忠」が次男なのかと思ってたくらいだし。
てことで調べてみると「結城秀康(ゆうき ひでやす)」って名が出てきて、ますます「ほら知らね」と。渋谷で100人に「結城秀康って知ってますか?」と聞いても、一般正解率1%くらいの超難問なんじゃないすかね。いや下手したら0%の可能性もあると見た。
てな、自分が知らないのだからきっとみんなも知らないはず、という願望はさて置き。今回はこの謎の次男くん「秀康」にまつわる新知識をメモっとくことにする。するよー。しますからねー?(←誰に言ってんだかは不明)
お万の方さんは追放されたので、生まれた次男くんは「家康の子」とは正式に認知されなかった。しかも、当時は忌み嫌われていた双子だったらしく、弟の方はすぐ死んでしまったとか、死んだことにしてお万さんの実家で育てたとか、いきなりもう謎だらけ。
兄の方は、家康との対面もあまりないまま(一回あったかも?くらいで)育つわけだが、長男である信康兄ちゃんが、例の武田内通疑惑で切腹させられ、何気に次の後継ぎ候補になる。はずだったんだけど、家康と秀吉がバトッた小牧長久手の戦いの後の仲直り条件で、この次男くんを秀吉の養子(人質)として差し出した(そういや「どうする家康」でもチラッとそのシーンあった)ので、次男くんは後継者の資格が無くなり、三男の秀忠くんが正式な後継者候補になってしまう。
で、次男くんは、大坂で秀吉から我が子のように可愛がられ、養父の「秀」と実父の「康」の字を与えられて元服し「羽柴秀康」と名乗るように。そして秀吉の九州遠征に従い、初陣を果たすとともに功を挙げ、領地と三河守の官位を授かる。
けっこう強くて中身も立派な武士になる秀康くんだが、秀吉と茶々の間に鶴丸くんが誕生したので、優秀なだけに邪魔になり(家臣から担ぎ上げられかねんので)北関東の由緒ある結城家に、また養子に出され今度は「結城秀康」て名に。
それから秀吉が死んで、家康が関ヶ原直前の会津(上杉景勝)征伐に行くのに付いてゆき「なんか石田三成が西で挙兵したぞってんで引き返すけど秀康おまえは上杉が降りて来たら止める役なっ!」となり大活躍のチャンス到来だったのに「でもむやみに攻撃すんなよ!」て言われて、特に武勇伝残せず。(実際、上杉が攻めてこなかったから見張ってただけ)
関ヶ原後は、越前を与えられ最後は「松平秀康」と名乗り大大名として君臨。家は幕末まで御三家と同レベル扱いで優遇されるものの、これと言った脚光を浴びることなく没るのでしたとさ。
めでたくないし、めでたくなくもなし。おしまい。
。。。ということで、知らなかったけど特に知らないままでも良い知識でしたな。名前はすごい覇者二人のハイブリッドで超キャラ立ってんのに有名になれてなくて気の毒w 名前がもったいない。
↓のページ最後の「自分は一体、何者だったのだろうか?」て表現が的確かつシュールすぎて、また笑ってしまう。そうだよね、あの神の君のザ第二子なのにね。笑うしかないわね。
0コメント