vol.27「新見左近」=「家宣」について


新見左近(にいみ さこん)」なる人物。

知ってる人は知っているが、実は、知らない人には全然知られてないんですよ。と、小泉進次郎風に何か言ってるようで何も言ってないスタイルで始めてしまいましたが、確かに聞いたことなかったですね。


それもそのはず、6th家宣の若かりし頃の名前なんですって。そんなん知りませんわな普通。なのになぜに知ってる人は知ってるのか。理由はこの本『浪人若さまシリーズ』が大ヒットしたからなんですと。それも知らない人は知らないわけなので、どんな小説なのか転載しますと ↓


後に天下の名将軍と謳われた徳川家宣が甲府藩主・徳川綱豊(つなとよ)であったころ、叔父である徳川綱吉との後継者争いを避けるため仮病で藩邸にこもったふりをする。その一方で元服前に名乗った新見左近と名を改め、谷中のぼろ屋敷に住む暇な浪人として、窮屈な殿さま暮らしなどまっぴら御免とばかりに、自由気ままな生活を謳歌する。将軍後継争いや、幕閣の陰謀に巻き込まれながらも、名刀安綱を振るい左近が、葵の秘剣で通常では裁けぬ旗本や大名家臣、凶悪な盗賊など許せぬ悪党を退治・事件を解決していく。

てなストーリー。


つまりは水戸黄門的な、身分を隠して町をぶらついては悪事を働く輩を成敗してゆく、勧善懲悪ヒーローものでやんすね。老いて6th将軍になるまでの間、浪人「新見左近」としてワル者をばっさばっさと斬り倒してゆく的な。ま、王道フィクションですわな。決め台詞は「良心ある者は去れ。悪に与する者は、葵一刀流が斬る!」なんですってw


って、いや別にバカにしてるわけじゃねぇんですぜ。とりあえず1巻読んだら、普通に面白かったですよ。スラスラ読みやすいし。ただね、、先が長すぎるんでさぁ。全14巻×2シリーズですやん。それの読破は無理だでよ。。あと、毎話ワル者が出るたびに罪のない町娘らが犠牲になってる様が、可哀想で可哀想で。読んでて悔しい気分になる時間がストレスな私には、苦手系ジャンルでした。(だからクリントイーストウッド監督映画も軒並み嫌い。可哀想すぎる系ムリ)


なので、1巻の冒頭にあった史実だけ抜粋 ↓


徳川家宣(いえのぶ)江戸幕府第六代将軍
寛文二年(1662)~正徳二年(1712)

寛文二年(1662)四月、四代将軍徳川家綱の弟で、甲府藩主徳川綱重の子として生まれる。綱重が正室を娶る前の誕生であったため、家臣新見正信のもとで育てられる


寛文十年(1670)九歳のときに認知され、綱重の嗣子となり、元服後「綱豊」と名乗る。延宝六年(1678)の父綱重の逝去を受け、十七歳で甲府藩主となる。将軍家綱が亡くなった際には、世継ぎとして候補に名があがったが、将軍の座には、叔父の綱吉が就いた。


五代将軍綱吉も、嫡男の早世や、長女鶴姫の婿である紀州藩主徳川綱教の死去等で、世継ぎに恵まれなかったため、宝永元年(1704)綱豊が四十三歳のときに養嗣子となり、江戸城西ノ丸に入り、名も家宣と改める。宝永六年(1709)の綱吉の逝去にともない、四十八歳で第六代将軍に就任する


将軍就任後は、生類憐みの令をはじめとした、前政権で不評だった政策を次々と撤廃。間部詮房(まなべ あきふさ)を側用人として重用し、新井白石の案を採用するなど、困窮にあえぐ庶民のため、政治の刷新をはかり、万民に歓迎される。正徳二年(1712)五十一歳で亡くなったため、治世は三年あまりとごく短いものであったが、徳川将軍十五代の中でも一、二を争う名君であったと評されている


↑ 史実はこんな感じで、青年時代に「新見左近」と名乗って町をフラフラしてたかどうかは、不明です。でもじゃあ48歳になるまで何してたのかも、また不明。水戸藩主の爺さまも町を徘徊してたのは多少は事実なようだし、そこそこ有り得るのかも? 


確かに、将軍時代に残された慈悲深いエピソードから逆算しても、就任前から心優しい人柄だったのだろうから、本当に浪人に扮して庶民の暮らしを見守っていたとしても不思議ではない。そして、その浪人生活を逆手に取った5th綱吉が、自分の子供に後を継がせたいが為に、今がチャンスとばかりに刺客を町に続々送り込んでくる、なんてのも案外ホントだったのかもしれない。



● そもそも浪人の定義とは

仕官していない武士のこと。「牢人」と呼ばれていたのが、家綱の代に「浪人」に変わった。赤穂浪士や新撰組の前身である壬生浪士組、坂本竜馬ら脱藩した幕末の志士達などは仕官していないため浪人なのだが「浪士」と呼ばれている。

浪人より浪士の方が特別扱いされる。浪人と浪士の明確な区別があるのかわからないが、浪人には「失業者」という意味が強く、浪士は「自らの意思で主家を退身する、もしくは仕官を断り大事を成し遂げようとする意志があるもの」という意味合いなのかもしれない。
浪人は名字帯刀ができる以外は庶民と変わらない。時代劇では貧乏で力を持て余し、乱暴を働く無頼浪人がよく登場するため、浪人という言葉に暗いイメージが付きまとうが、実際は「善良」な浪人の方が多い。



そんな夢膨らむバックボーンを持ちつつ、最終的に荒れた綱吉時代の後を継ぎ、満を持して6th将軍となった我らがスーパーヒーロー家宣。いよいよ腹も固めて「さあ、こっから世直ししちゃうよー!」と張り切るし、その素質も十二分。世間も「世、直しちゃってー!」と期待値MAX。



● で、さっそく生類憐みの令と、酒税を廃止

綱吉が病床に伏せていた際、家宣に「生類憐みの令は私の死後も続けていくように」と伝えるが、家宣は「はい!私自身は100年でも言い付けを守りましょう!(庶民全員とは言ってない)」と答え、綱吉死後にサクッと解除。生類憐みの令で罪人とされた8千数百人が赦免されたといわれます。庶民としては「やっと変な法令終わったー!これでようやく鰻が食えるぞー!」と大喜び。



● とりあえずご祝儀的に正徳の治が褒められる

浪人として庶民の暮らしを見聞きしてきた経験から、民のための政治を心がけた家宣。内容は基本的に綱吉時代にとっ散らかされた問題の尻拭いに追われる対処療法ばかりであったが、それまでの政治が不評だったことの反動と、家宣の清廉潔白なイケメンさから大人気になり「正徳の治」と呼ばれ、ありがたがられる。



● けど実は政治の中身は空振りぎみ

間部詮房や新井白石といった「浪人上がりだけど有能タイプ」を起用する判断自体は素晴らしかったのだが、悲しいかな新井白石の才能が、荻原重秀と全く噛み合わず逆噴射改鋳や、長崎貿易制限など、後に「白石デフレ」を招くポンコツ政策を起用してしまう(と言うか経済の天才じゃなきゃ立て直せない状態だった)。でも一方で、徳川御三家と同じシステムを皇族にも適用した「閑院宮家(かんいんのみやけ)」を創設し、後の皇継断続を救うなど、白石の良い面も活かしてはいる。



● なのに3年であっさり死ぬ不甲斐なさ

早い。早すぎるのよ。何やってんのよっ! 48歳て割と長生きの方だったのに、将軍になったら51歳で死亡? 浪人時代は刺客を送られても元気に悪人斬りまくってたんでしょ? 肝心な時にインフルごときで死ぬなよっ! 練習で頑張りすぎて体壊して本番出れなくなる演劇部の部長かよ。マジ困るわ〜そうゆう奴。おかげで7thはまだ4歳の家継君じゃん。どーすんのよ。失政とかはやってみなくちゃ分かんないから許すし、取り返しも効くけど、死ぬのはアカンてっヾ(>д< )



そんなこんなで、ポテンシャル抜群だったのに、将軍期間が短すぎて、フィクション世界での活躍の方が際立ってしまった家宣様。リアルワールドの方は、アンタがしっかり荻原重秀を新井白石から守り通さんかったおかげで、元禄景気も白石デフレで消え失せ、庶民は前よりもっと苦しむハメになっとりますぞ。しかも、この後7th家継君を取り巻く権力争いで、大奥までもがえらいことになるらしいし。。


せめてあと10年くらい元気に長生きしてたら、全然違う歴史が生まれてたんでしょうに。いやはや惜しい人を亡くしましたわ。誰だよ殿にインフル移したやつは〜!怒。誰かタイムトラベルしてタミフルあげに行ってくれまいか。


帰ってきたら徳川30代目くらいのパラレルワールドになっとるかもわからんがw



● 徳川家宣の性格、色恋、人柄エピソード選などの雑学的プロフィール

https://netlab.click/jphistory/prof_ienobu


一般社団法人 江戸町人文化芸術研究所

こちらは一般社団法人「江戸町人文化芸術研究所」の公式WEBサイト「エドラボ」です。江戸時代に花開いた町人文化と芸術について学び、研究し、保存と承継をミッションに活動しています。