vol.29『絵島疑獄』を読んで(後編)

さてさて、前代未聞の大スキャンダル後編です。仕掛けられた地雷が炸裂し、1400人ぶっ飛びます。心臓の弱い方は要注意です。



<味方に紛れていた天英院派の工作員>

● 歌舞伎小屋で役者の接待を受ける絵島たち。お金はもちろん渡しており、自腹のつもりだったが、実は中抜きされて渡っていない。つまり権力を傘に接待させた構図になっちゃってる。しかも男女の不埒な交わりがあったと言われても、覆せない状況証拠と、そんな雰囲気の目撃者多数を残してしまう。実際そこまではハメを外してはいないのだが、酔って浮かれていたのは事実は、事実。まさにハニートラップの男女逆転版である。


● そして遅れてしまう門限。けど、そんなのよくある話で、門番に金を握らせれば済む話なのは、天英院派でも同じこと。もちろん今回も握らせるための金を渡すが、実は渡っていない渡す役目の工作員がわざと渡さなかったからしかし絵島はそれを知らない。故に門番らを敵に回してしまう


● この罠の実に見事なところは、罠にはまった本人たちが、まだ罠にはまったと自覚していない点である。北斗の拳で言えば「お前は既に死んでいる」状態。こんな作戦を誰が描いたのか? 天英院か? いや、奥に長年篭っていた彼女にそこまでの知恵はなかろう。これはもっと先の大局を見据えた、広い視野を持った人物による策略である。しかも、敵陣にスパイを気付かれず送り込める力のある者とは。。?



<検挙は手早く、センセーショナルに>

● その後、従来の慣例、実態をまるで鑑みりることなく、異常な早さ、厳しさで突如検挙される絵島ら。言い訳する間どころか、訳も分からぬうちに大奥から裸足で追い出される女中たち。まさに仕組まれた一斉検挙。慌てた月光院の権力も及ばぬほどのスピード感と、庶民に見せつけた大騒動で、江戸中に駆け巡る根も葉もない噂たち。


● こうなると噂が噂を呼んで、絵島らがまるで歌舞伎役者らと逢瀬を重ねていたなどどの風説が、まことしやかに出回ってしまい、かねてからあった大奥女中らの豪華絢爛な暮らしぶりに対する庶民の不満の捌け口と化す。特に絵島はその最大のターゲットとなり、生島との密通疑惑が都市伝説のごとく膨らむ膨らむ。まるで松本人志のゴシップのよう。真偽の程は、もはや関係なしに世間のヒステリーが止まらない。


● さらに、身分の低い生島は拷問にかけられ、無かったこともあったとの自白を強要させられて、万事休すのチェックメイト。これにて絵島は問答無用で島流しの刑に。(月光院のはからいで、実際は島ではなく陸続きの長野の奥地になるのだが)それにしても、それは何の罪で、誰が被害を受けたんだよ?って話。THE見せしめSHOW 以外の何ものでもありゃしませんな。


● 生島も可哀想に、ボロボロの姿で三宅島へ流罪。絵島の義兄は、なんと死罪。武士の最後の尊厳である切腹も許されずに斬首とは、いったいオレが何したってんだよ!状態。監督不行きの連帯責任ということだろうが、罰が重すぎて腑に落ちない。おそらく、誰かを極刑に処さなければ示しがつかないという判断があったと考えられる。


● かくして、絵島生島事件は、関係者1400人規模という信じられない量の処罰者を生み出し、大奥内の江戸派は一掃されてしまう。これにより月光院の権威がガタ落ちになるのみならず、間部詮房や新井白石の影響力も奪われてゆく。天英院派と古株の老中たちのニンマリ顔が目に浮かぶ。


<8歳にして死んでしまう家継>


● そして追い討ちをかけるかのように、7th家継が体調を崩して早世。間部や新井は、6th家宣の遺言に従い、尾張藩主の吉道(よしみち)を次の将軍に立てようとするが、権力を取り戻した天英院派が紀州藩主の「吉宗(よしむね)」を推す。当然、新井らは争うが、天英院には逆らえず結局、吉宗が江戸城に乗り込み8th将軍となる


● 8th吉宗は就任するやいなや、間部詮房と新井白石を冷遇。よって2人は自主的撤退で失脚へ。それまでの失政の罪を新井白石のせいにして(わりとそうだったりするけども)いざ享保の改革へと乗り出してゆく。



<尾張藩主「吉道」の不審死>


● 本来8th将軍NO.1候補は、家宣の遺言通り、尾張藩主「吉道」のはずだった。が、7th家継が早世する前に何とも不可解な謎の死を遂げている。英邁の誉れ高かった吉通であるが、食後急に吐血して悶死するという異常な死に方をしている。しかも医師が近侍していながら、まったく看病しなかったともいわれ、当時からその死因を不審がる者もいた。


名古屋藩士朝日重章の日記『鸚鵡籠中記』には、その頃さかんに紀州藩の間者が、尾張藩邸をうかがっているという風聞を掲載している。なお、吉通の子の五郎太も正徳3年の10月に死去したため、尾張徳川家の正統は将軍家に先立って絶えることとなった。


このため6th家宣の遺言は帳消しとなり、紀州藩主の吉宗が天英院のゴリ推しを受けて8th将軍となる。ちなみに吉宗は最初は断ったのだが、天英院からの圧が強く、しぶしぶ決断したとか。将軍就任後も「質素倹約」を打ち立てながら天英院に対しては、年間1万2千両という格別な報酬を与え、天英院の影響下にある大奥上層部の経費削減には手を付けることはなかった


囲み屋敷に幽閉された絵島は、のちにこれら陰謀の全容を理解する。しかし立場の弱くなった月光院の行く末を気遣い、汚名を受け入れ、真実を口にすることはしなかった。そして、自分の油断のせいで多くの人を不幸にさせたと嘆きながら、死ぬまでの28年間を、囲み屋敷の中でひとり静かに過ごした。亡くなるまで、ついぞ大奥の話は一切しなかったと伝わる。

<完>



いやー、我ながら今回もよく頑張ってまとめたものだ。まあこれだけ面白ければ自然と熱も入ると言うもの。これは紛れもなく天英院派によるクーデターであり、将軍候補暗殺を含んだテロ行為に他ならない。絵島と生島のスキャンダルなどは、その真相を隠すための、でっちあげの目くらましであり、ケネディ大統領の暗殺犯に仕立て上げられたオズワルドと同じパターンですわな。


さて、残る疑問は 黒幕は誰か? である。

ここからは推測が強くなるが『絵島疑獄』では、天英院の父親であり、太閤であった「近衛 基熈(このえ もとひろ)」が仕掛けた策略としている。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/近衛基熙


思えば、近衛基煕(このえ もとひろ)の異例とも言える三年もの長期江戸滞在のあいだに、天英院の不満、家宣・家継父子の虚弱体質、月光院の威勢、紀州家の野心、閣老同士の反目、林家と白石の対立など、大奥内にくすぶる火種のさまざまを、一見、柔和そうにみえる目袋の奥からじっくり見きわめ、万端の布石をほどこした大策士こそ、元太閤の顕位にあったこの、したたかな老人かもしれないのだ。帰洛後も、江戸の天英院派と緊密に連絡をとり合いながら大疑獄をでっちあげ、見事、政局の流れを京派にとって好もしい方向に変えてのけたのではなかろうか。。


確かに、それだと各方面への用意周到な根回しパワーも合点がゆく。なんせ太閤殿下だもの。幕府の力の上をゆく朝廷の力が裏で動いていたからこそ、これだけの一大疑獄も成功できたわけだ。そうでないと確かに無理がある。もう絶対そうじゃん。しかも公文書として機能する日記の中でも、吉宗と天英院を褒めちぎり、月光院をけなしてるし。もう近衛パパで黒幕決定じゃんはいじゃ決定。結論でました


結論でたので終わりますね。

ついでに「文治政治編」も終了です。結局、武力で威圧してた武断政治時代の方がなんか平和だったような。。気のせいでしょうかね。



● マメ知識メモ

なんでこんなに子供が早世しちゃうか、であるが、その説のひとつに、乳母の乳房の化粧のせいでは? と言われている。この時代の化粧には「鉛の白粉」が使われており、これを口に含んでしまった子供が、鉛中毒になって早世した可能性も否めない。それを医者から聞いた絵島は、家継の乳母には決して化粧を許さなかったらしい。

https://www.ndl.go.jp/kaleido/entry/29/1.html

一般社団法人 江戸町人文化芸術研究所

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