なんだか幕末になってから舞台が西日本に移って、江戸の話がとんと出て来なくなってしまった。本来ここは『江戸町人文化芸術研究所』だっちゅーに、このまま幕末史を勉強するのは主旨がプレてるし、どうなんだろう。。
かと言って、ここまで書き進めて来て急にやめるのも、ちょっと嫌だし、せめて明治維新まではやり遂げたい。てことで、とりあえずこの調子で続けるのだが、このところ血生臭い話ばかりでゲンナリしてきたので、ひさしぶりに「食」の話題でひと休みしよう。
いや何かすごい秀逸なブログを見つけましたもんでね。始めから終わりまで、あまりに充実した内容だから割愛するとこなさすぎて、もうそのリンク貼ってお終いでも良いくらい。てゆーか、まんまコピペになるから怒られそうで。までも、ちゃんと元記事紹介しとけば良いか。ってことでこちらです。↓
⚫︎ Marlboro TigerのReload the 明治維新
【軍鶏鍋】について
https://ameblo.jp/boochan-777/entry-12721139325.html?frm=theme
ここから以下はMarlboro Tiger様からの抜粋でメモらせていただきますが、商用目的でないし、読者も私しかいませんので、たまたまこちらを発見してもどうかお許し願いますね。公開はしてるけど個人的なメモですので。勉強させていただきやすです!ペッコリ45度。
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軍鶏鍋とは、出汁と酒、みりん、醤油などで軍鶏肉を煮込んだ鍋料理で、江戸時代において既に【江戸の名物】として知られていた。司馬遼太郎の【竜馬がゆく】や、池波正太郎の【鬼平犯科帳】で、しばしば登場する江戸後期を代表する定番グルメである。まあ、皆さんもどこかで聞いた事くらいあるだろう。現代人の我々にとってみれば、これをルーツに誕生したのが【親子丼】だと言われれば親しみを覚える。親子丼は日本橋人形町の【玉ひで】で、軍鶏鍋をヒントに考案されたB級グルメだ。
軍鶏とは、闘鶏用または観賞用に江戸時代に輸入されたニワトリの一種で、そのオリジンはタイにあると言われている。江戸期の伝来以降、日本各地で独自に品種改良が施され、昭和十六年(1941年)には、【日本に特有な畜養動物】として国の天然記念物に指定された。また日本農林規格における鶏の在来種にも指定されている。
本来が闘鶏専用に改良されたため、【軍】の字が冠せられ軍鶏と言う字が当てられる事となった。オスは異常な程に闘争心が強く、狂暴である。三枚冠もしくは胡桃冠で首が長く、一般のニワトリに比べ頑強な体躯を持っているのが特徴的だ。【シャモ】と言う発音は、当時のタイ国の旧名【シャム】に由来している。漢字の訓読みなら【ぐんけい】となる筈だが、字とは別にオリジナルの発音が適応されているから面白い。
江戸時代に伝わって来たのは間違いないのだが、伝来の正確な時期は分かっていない。闘鶏の隆盛とともに各地で飼育される様になった。元来【闘鶏】は博打である。賭博である以上、規制の対象になる事も多く、それが禁止される度に飼育は下火になったりする。しかし、食用としては肉が美味であったためこれが定着。現在は各地で食用として飼育される様になった。
戦いのために発達した腿や胸の筋肉には、ブロイラーには無い肉本来のうまみが凝縮されており、食肉用としても愛好者が多かった。この軍鶏鍋の人気は中々のもので、江戸時代も後半になると広く食用としても知られる様になっていた。天保期に起こった軍鶏鍋ブームはその品種改良と物流インフラの充実がもたらした物である。
これは【江戸庶民風俗図絵】に描かれた雁鍋料理専門店で食事をする人々。当時の人々は鶏以外の鳥類としてはハト、鴨、雁(がん)、雉(きじ)、鷺(さぎ)、雀(すずめ)を食していた。小さな子供も描かれているので、皆ある程度は獣食を受け入れていたのだと想像される。そりゃまあ...美味いんだから、仕方がない(笑)。
客の男達は七輪の上に鍋を置き、鶏肉を煮立ててムシャムシャ(笑)。どちらかと言うと精をつける為の薬の様な感覚もあったかも知れないが、鳥の肉は哺乳類の肉とは一線を画すグルメとして認知されていた。
平安時代の末期に貴族の間で肉食のタブーが緩み...雉や鴨が食べられる様になった。武士が台頭して以降はそれが顕著で、仏法よりも武士道の実践を重視する彼らは盛んに狩りを行った。室町時代には武芸の鍛錬の際、獲物となる雉、兎、鹿、狸、熊、猪が食される様になった。
で、軍鶏鍋となると、ご存知、坂本龍馬となる訳だが... 土佐人の軍鶏鍋好きには、ちゃんとした理由もある。
龍馬の姉「千鶴」は、安田町の高松順蔵に嫁いでいたのだが、龍馬は幼いころから高松家をよく訪問していた。この安田町は闘鶏が盛んな町で、勝負に負けた軍鶏を鍋にして食べる習慣が現代でも残っている。恐らく龍馬は高松家を訪ねてきた際に軍鶏の味を知ったのだろう。彼にとっては日常に軍鶏がある風景は当たり前のものだった。高知においては闘鶏文化と共に軍鶏鍋があったと言う事だ。
幕末当時、軍鶏は手軽な食材になっていた。江戸時代の高級鳥肉と言えば、鶴を筆頭に、白鳥なども食されたのだが、一般的に高級肉とされたのは鴨だったろう。現代でも、鴨料理は高級品のジャンルにカテゴライズされる。京都の【鴨のつけそば】や、【鴨なんばん】もちょっとリッチな雰囲気の食い物だ。
それに対し、庶民が口にした代表格こそ軍鶏! 江戸末期の...それも天保になってからのブームは凄まじい物があった。丁度幕末期のスーパースター達が生まれた頃に、それが江戸を中心に巻き起こっていたと言う事。彼等が成人した時代には、もうそれは当たり前の物になっていたとご記憶頂きたい。
龍馬が好んだと言われる軍鶏鍋は土佐風。一説によると出汁と醤油で作った割下に、にんにくを入れて煮込んだのだそうだ。関東風とは若干違うのかも知れない。【竜馬がゆく】では暗殺事件の当日、龍馬が軍鶏鍋をオーダーし、料理屋からそれが届く前に暗殺されてしまう。
恐らくは...
こんな感じだったのだろうか...。関西風の味付けだったと思う...。
鬼平が愛した五鉄の軍鶏鍋ならば...
こんな感じに仕上がる(笑)。なるほど、こいつは美味そうだ!
とにもかくにも、幕末世界において...使える小道具として【軍鶏鍋】は欠かせない。ここから日本人の肉食文化がリスタートして行ったのだと思えば、リスペクトの念を抱かざるを得ない。
鬼平や龍馬が愛した【軍鶏鍋】。それはすき焼きのルーツであり、もしかすると洋食のルーツになったと言えなくもない。
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はい、以上、すばらしきブログ様より敬って転載させていただきました。いや〜楽だ。これは楽だ。あまりに内容が秀逸なので、なんの付け足しも必要ござらん。味をしめて、あと数回この方式で話数を稼がせていただきもうす。(話数を稼いだところで、ただの自己満足でしかないのですけれども)ごっつぁんです!
ちなみに獣肉鍋シリーズは、この【軍鶏鍋】の他に【豚鍋】と【すき焼き】の記事もあり、それぞれ読み応え満点、かつ、幕末おける肉食文化浸透のホップ、ステップ、ジャンプがすごくよく理解できるので、併せて読んでおくように。テストに出すぞ!
【豚鍋】について
https://ameblo.jp/boochan-777/entry-12722574964.html
【すき焼き】について
https://ameblo.jp/boochan-777/entry-12726013621.html?frm=theme
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