パリ万博にて、日本からヨーロッパに渡り、センセーショナルな受け入れられ方をした浮世絵版画は、ジャポニズムと呼ばれる日本趣味のブームを巻き起こしたのは周知の通り。
しかし、なぜ浮世絵が西洋人の心をつかんだのだろうか。その理由の鍵となるポイントを確認しておこうぞ。
⚫︎ 自由な画題
当時のヨーロッパでは、絵画と言えば宗教的な主題や肖像画が主流で、風景画などはまだ少数派であった。芸術作品はしばしば深刻で厳粛なテーマに取り組むことが多く、表現にも一定の制約があったらしい。
しかし、浮世絵はそんなヨーロッパ絵画の概念を根底から覆した。元々、浮世絵は庶民の日常生活を描いた娯楽的な作品であり、その画題は実に多岐にわたる。美人画から役者絵、武者絵、風景画、花鳥画、さらには妖怪を描いた画や相撲絵、そして春画に至るまで、一見すると何の束縛もないかのような自由さが感じられる。
西洋人の画家たちにとって、浮世絵はまさに目から鱗の体験だったに違いない。「こんなに自由に、こんなに多彩なテーマを扱って良いのか!」という新鮮な驚きを感じたことだろう。彼らにとって、浮世絵は表現の自由を再認識させるものであり、自らの創作活動に対する新たな可能性を示唆していた。
このような背景があるため、浮世絵はただの異国の風物詩に留まらず、西洋の芸術家たちに強烈なインスピレーションを与え、19世紀の美術界において一種の革命をもたらすきっかけとなる。ジャポニズムの波はただちにヨーロッパ全土を席巻し、モネやヴァン・ゴッホなど多くの印象派の画家たちが、この東洋からの新風に影響を受けて独自の表現を開発してゆく。その結果、西洋美術の新しい地平が開かれることとなったのだ。
⚫︎ 奇抜な構図
西洋絵画が遠近法や陰影を駆使した写実的な表現に重きを置いていたのに対し、浮世絵は現実にはあり得ない極端な構図と誇張によって、視覚的なダイナミズムとリズム感を強調している。
その最も有名な例の一つが葛飾北斎の『神奈川沖浪裏』である。この作品では、巨大で力強い波が、舟を乗せた人々を圧倒しようとするかのようにデフォルメされており、その背後には小さな富士山が描かれている。この一枚の中で、実際にはあり得ない誇張されたシーンが見事に表現されており、その変幻自在な構図力は西洋の人々を驚かせた。
このような奇抜な構図は、西洋美術における厳格なルールからの大きな逸脱と見なされたであろう。浮世絵は、単なる対象の模写ではなく、画家の創造性と技術を最大限に活かし、視覚的な効果を追求することに焦点を当てていた。北斎の波は、単に海の一部としてではなく、動きとエネルギーを持つ主体として描かれており、観る者に強い印象を与えるとともに、視覚的な楽しみを提供する。
さらに、これらの画作品は、単に自然の一部を描くのではなく、それを通して感情や物語を語る手段としても機能している。このような表現手法は、西洋の芸術家たちに新たな表現の可能性を示し、彼らの作品にも大きな影響を与えた。実際、浮世絵の影響は印象派やポスト印象派の画家たちの作品にも見られ、彼らは浮世絵の構図の自由さや表現の大胆さを自らの作品に取り入れていった。
と言うワケで、浮世絵の持つ奇抜な構図は、西洋美術の伝統的な枠組みに新たな視点をもたらし、後世の芸術に対する理解を広げるきっかけとなったんだってさ。
⚫︎ 色彩と余白の抜け感
西洋画に用いられる絵具は、その濃厚で深みのある色合いが特徴で、観る者に重みや迫力を感じさせる。一方で、日本の浮世絵に使われている色彩は淡い物が多く、軽やかな雰囲気を醸し出している。この明るくポップな色使いは、西洋の重厚な色彩表現とは一線を画し、新鮮な視覚体験を提供した。浮世絵の色彩は、見る者の目を柔らかく誘い、絵画を通じた快活な物語を語りかける。
この淡彩の抜け感は、まさにカルチャーショックとも言えるものだった。このような色使いは、当時の西洋絵画には見られなかった明るさと自由さを表現しており、それがジャポニズムの流行に一役買ったと考えられる。浮世絵の色彩が生み出すライトでポップな雰囲気は、西洋の伝統的な色使いに新たな視点をもたらし、後の芸術運動にも大きな影響を与えた。
また、西洋画では画面を埋め尽くすような描写が一般的で、背景には空や雲、壁や影などが描かれる。このように、純粋な「empty space」はほとんど見られないのが特徴である。
しかし、浮世絵ではこの「empty space」、すなわち余白を大胆に用いることで、作品に呼吸を与えている。何も塗られていない空間は、観る者に静けさや広がりを感じさせ、作品全体のバランスを整える役割を果たす。浮世絵におけるこの余白の使い方は、日本美術全般に見られる特徴であり、空間を生かした美意識の表れである。この絶妙な間の感覚は、西洋人にとって新鮮であり、浮世絵の静謐で洗練された魅力を際立たせる要素となったのだ。
⚫︎ 圧倒的な量
浮世絵はその生産と消費の仕方が西洋の美術品とは一線を画していた。これらの作品は、日本では芸術品というよりは、庶民の娯楽や情報を伝えるメディアとしての役割を持っていたため、大量生産され、広く手頃な価格で流通していた。この生産のしやすさと購入のしやすさは、多くの人々に浮世絵を手に取る機会を提供した。
西洋では、芸術作品はしばしば一点物であり、その生産には多大な時間と労力がかけられ、絵画は高価で貴重なものとされていた。そのため、浮世絵のように安価でありながら質の高い芸術作品が、あらゆるテーマやスタイルで大量に存在するという状況は、西洋人にとっては信じがたい光景であり、大きな魅力となったのだ。
また、浮世絵の多様性と量の多さは、コレクター魂を刺激した。まるでビックリマンシールを集めるかのような興奮とドキドキを提供し、レアな作品を見つける楽しさは、コレクションを競うような熱狂を生み出した。この新しい種類のコレクティブな趣味は、西洋人にとって新しい趣味の形として、また社会的なステータスを示す手段としても機能した。
このように、「圧倒的な量」という特徴は、浮世絵が西洋で急速に普及し、高い人気を博する要因となった。それは単に芸術作品を楽しむだけでなく、新たな文化的体験を求める人々の心をとらえ、長期間にわたってその魅力を保ち続けたのである。
⚫︎ 浮世絵に影響を受けた画家たち
浮世絵に接し、浮世絵を集め、そこから学び取った要素を基に「独自の表現」を展開、周囲や次世代に影響を与えた画家は少なくない。浮世絵に多大な影響を受けた一人として、まずクロード・モネの名が挙げられる。
モネは1870年代、30代の時には浮世絵の収集を始めており、生涯に集めた数は現在確認できるだけでも292点に及ぶ。彼はそれらの絵をただ集めるのみならず、しばしば自らの作品の構図の参考にもしていたことが指摘されている。
さらに1893年には、ジヴェルニーの自宅の隣の土地を購入、日本風庭園「水の庭」を作り始める。そこには、太鼓橋や藤棚など、浮世絵にも登場するモチーフが散りばめられ、日本の植物が多く植えられた。睡蓮を浮かべた水面、柳、そして池にかかる太鼓橋。1899年から1900年にかけて、彼はこの組み合わせを主題に18点もの作品を描いている。
ゴッホ 「タンギー爺さん」
パリの画材屋の主人ジュリアン=フランソワ・タンギーをモデルにして描いた作品。ゴッホはパリ時代に画商ビングの屋根裏に保管してあった約1万枚の浮世絵を見て衝撃を受けた。
大胆、シンプルで明快な構図、鮮やかな色彩。ゴッホはそんな浮世絵に完全に「惚れ込んでしまった」といえる。この作品のタンギー爺さんはパリの売れない画家たちを陰で支えた好人物でゴッホも大変敬愛していたことから背景に浮世絵を配置し作品全体に花を添えた気持ちで描いたものである。
ゴッホ 「雨の大橋」歌川広重
ゴッホによる浮世絵の模写。元絵は歌川広重の「雨の大橋」。本作品の構図はほとんど変わらないが油彩画であるため平面化された浮世絵よりも立体感が出ており何とも不思議な作品となっている。また、周囲を漢字で描いているが文字というよりその装飾性に新味を感じたようだ。
ホイッスラー 「陶器の国の姫君」
ホイッスラーも「日本趣味」に強く心を惹かれた画家のひとりである。うちわを持ち着物を着た女性を中央にし背景には花鳥風月の屏風を置き黒い陶器の花瓶も見える。床には何かが描かれた茣蓙のようなものが敷かれている。全て日本グッズによって構成されている作品も珍しい。
てな具合に、日本ブームは当時のフランス絵画界を席巻し、多くの画家に刺激を与え、その後の絵画の手法に新しい技法と多様な道筋を示した。
折しも、西洋の美術界は、古典技法や写実主義からの脱却という大きな変革期を迎えようとしていた。だからこそ、既存の概念を覆す、自由な表現の浮世絵に、芸術家たちは夢中になったのだろう。そしてそれが印象派やポスト印象派、象徴主義やアール・ヌーヴォーと呼ばれた美術運動など、新しい西洋美術の誕生に貢献したのかもしれない。
ってさ。
参考
https://nomurakakejiku.jp/column/post-18446.html
https://intojapanwaraku.com/rock/art-rock/65706/https://www.adachi-hanga.com/hokusai/page/know_7
https://www.touken-world-ukiyoe.jp/ukiyoeshi-famous/japonism-artist/
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