vol.12『名君の碑 保科正之の生涯』を読んで


4代将軍「家綱」から始まる「文治政治」を語るにあたり、欠かせないのが「寛永の遺老」と呼ばれる家光時代からのスーパー大老やグレート老中たち。なのは薄々知っとりましたが、具体的には誰が誰で何したのかはよう知らん。知らんくてスマン。かろうじて「知恵伊豆」こと「松平伊豆守信綱」だけは、すげーキレる奴だったと最近認知したけれど。


ってくらいなので他の面々も調べてみよか、と手にしたのが、こちらの本。なんか「保科正之(ほしな まさゆき)」って、大老でも老中でもない謎ポジションのくせに、ちょいちょい名前出てくるし、どんな人だったのか興味湧きまして。えっと、確か秀忠の隠し子だったんだっけか



で、読み終えたら。もうね。惚れましたわ。

大好き。歴史上の人物で一番好き。愛してる。なんなんこのカッコ良さ、抱かれたいんですけど。てなほどに素晴らしい人物でして、心から感動した。私と同様に、彼についてまだあまり知識のない方は、ぜひ調べていただきたし。推しメンになること間違いなしですし、もれなく俗に言う「尊すぎて辛い」という感覚を味わえること、請け合いである。

https://www.touken-world.jp/history/history-important-word/hoshina-masayuki/

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/保科正之


2代目秀忠の子であり、3代目家光の弟であり、4代目家綱の叔父であった、保科正之。生まれた頃は、お江の嫉妬で命まで狙われるも、武田信玄の娘で、穴山梅雪の未亡人だった「見性院(けんせいいん)」に助けられ、保科家の養子となって、立派に育つ。後に「おれに腹違いの弟がいる?」と知った家光からその才を買われ、相談役ポジに置いてもらってからは、大老らも唸らせる名君っぷりで実質「副将軍」に。なれど、権威を鼻にかけずひたすら徳川家に尽くし、数々の善政をサラッと打ち立ててゆく男前。


読めば読むほど、知れば知るほどに、これ以上偉大な人物は日本に現れてないんじゃないかと思えるくらい非の打ち所なし! どこをどう切っても完璧で、清々しい絵に描いたような名君とはこのことで。逆に美化されすぎてるのでは?と疑いたくなるレベルなのだけど、むしろ本人が偉そうにしないので、自身の功績を他の老中に取られ気味とかいう謙虚っぷりにまた「きゅん」です。なので彼の善政をズラッと以下に並べたて、崇めまつりませう。



●末期養子の禁の緩和

家綱の4代目就任直後に起きた「由井正雪の乱」は、それまでの武断政治の反作用であると正しく分析し、牢人量産機となってた末期養子の禁令を緩和するという逆の発想を提言。この英断により、武家はお家断絶からだいぶ逃れられることに感謝した。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/慶安の変


●大名証人(人質)制度の廃止

人質出してることがイコール忠誠を誓ってる、とかいう考えやめようよ。もう信用すっから家族は家族と地元で暮らしなよ。てゆー器の広さが逆に忠誠心をくすぐるってゆーね。


●殉死の禁止

後追って死ぬより、生きて尽くそうよの精神。

https://nihonsi-jiten.com/jyunshi-no-kinshi/


●玉川上水開削の建議

これからますます江戸人口増えて水が足らなくなるから、どんなに金かかってでも、上水もう一本引かなきゃダメ!絶対!て強く言ってくれてありがとう。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/玉川上水


●明暦の大火直後の指示が完璧

まず幕府の米を解放するとお触れを出して、庶民を火消しに変えた名案。で実際に米も金も大放出させる。米の値上がりを抑えるべく、江戸勤務の武家らを国に帰らせたり。天守閣の再建は無駄使いだから不要!と声を上げたり。

https://serai.jp/hobby/93888


● 日本初の「社倉制度」を確立

会津で飢饉に備えて米を蓄えとく日本初の「社倉制度」を確立。飢饉になったら放出するので餓死者なしの偉業。


●間引きの禁止

米は貯めたし飢えることもそうそうないから赤子中絶するのやめよ。俺なんかも危うく流されそうだったらしいし。そうゆうの悲しい。


●また日本初の「国民年金制度」確立

90歳以上になったら身分男女に関わらず米支給するから安心して。長生きじじばばのせいで生まれたての子供サクッと間引かないで。


●またまた日本初の「緊急医療制度」の確立

旅人とかの病人放置して死なしたらダメ。金がないなら藩が払うから。命は大切にしようよ。それ人間だよ?


●会津藩の憲法「家訓十五箇条」ぶち立て

うちの藩は、今後もずっと徳川家に尽くすべし。もし違反する奴いたら、それはうちの子じゃないから従っちゃダメの家訓。これにより会津藩は幕末でも最後まで幕府を守り抜く。


●武断政治から文治政治へ導く

もう武力で睨み利かす時代じゃないよね。政(まつりごと)は民のためにやるものだし、民が喜ぶ仕組みつくろ。そしたらほら、なんか平和じゃん。


●自分の偉業の痕跡を消す

「自分はあくまでも将軍の後見役。自分が将軍より目立ってはいけない」てことで、死ぬ直前に部下に命じて、自分の業績を記した書類や書物などを焼却。だし、偉業の名声が家綱や家臣らに分散してるくさい。カッコ良すぎるでしょうがっ。



などなど、こんな感じで保科正之様のすごさを挙げると、いとまがない。けど忘れちゃいけないのが、一応そこには、知恵伊豆はじめ、正之以外の家来衆もいたわけで。彼らも彼らで真っ直ぐなキレ者だったからこそ、正之様の高尚な理念をスッと理解できて、万事うまく噛み合ってゆけたわけで。それら補佐役オールスターズのことを世界はそれを「寛永の遺老」と呼ぶんだぜ。って、最初に言ったか。

https://www.guidoor.jp/media/tokugawaiemitsu-ietsuna/


家光が、このアベンジャーズみたいな有能軍団を揃えておいてくれたおかげで、家綱は11歳で4代目にされても安心だった故に「左様せい様」なんてアダ名まで付いちゃう。けれど、家綱は家綱でなかなか賢い人だったそうな。確かに、もし家綱くんがワガママボーイだったら江戸の泰平は続かなかったかもしれないし、彼にも盛大なる拍手を贈りたい。

https://www.touken-world.jp/tips/44516/


ちなみに家綱は、明暦の大火を教訓に、両国橋を架設。また、両国橋のたもとに「火除地」を設けた。橋のたもとには建造物を建設することを禁じているが、すぐに取り壊せることを条件に、建設を一部許可し、盛んに「すぐに壊せる土俵」が作られ、これが発端となり、両国は相撲の街として知られるようになった。んですって。


で後に、東回り西回り航路、も完成。江戸が復興景気に湧くさなか、危篤になり後継がいないから異母弟の「綱吉」を養子に迎えて、5代目に据える。保科正之ら寛永の偉老に支えられながら、家綱が11歳から40歳までの約30年間で成した善政により、本格的な天下泰平が訪れ、いよいよ江戸に町人文化が花開きはじめるのであった。ってか。



あー今回も勉強になったわー。家康、秀忠、家光の3部作もそれぞれの主役が濃いめでクールだったけど、急にチームワークで魅せてくる感じが、文治政治編の幕開けに相応しくて良いね。タイトル付けるなら「イエー・ツッナーと賢者の武士団」とか「STAR ROJUS episode Ⅳ 〜新たなる希望〜」とか? ダサいかw



おまけ

保科正之の存在を3代目家光が知ったのは、お忍びで目黒に鷹狩りに行った時のこと。相手が将軍とは知らず寺の坊さんが「保科様は将軍の子なのに隠されててお気の毒に」と言ったのがきっかけで「なぬ〜!??」ってなった。ちなみに「目黒のサンマ」という落語の噺も、そんな家光のお忍び目黒遊びがモデルである。もしかしたら実話かも?

https://mag.japaaan.com/archives/85596/2

一般社団法人 江戸町人文化芸術研究所

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