vol.25『経済で読み解く日本史』を読んで


この本、すごい。目から鱗が100枚ほど噴出した。これまで習ってきた日本史のイメージが、打ち崩されると言うか、点と点が繋がってゆくと言うか、ようやく意味が理解できたと言うか。大人になったからこそ、経済の視点から歴史を見てみると、急に全部の歴史イベントの裏にある流れが腑に落ちてくるとは、面白すぎる。世の中やっぱ損得勘定で動いてるわけで。そう見ると何もかもが納得できちゃう歳になったとは、ある意味「汚れちまった悲しみに」でもある。


江戸時代について、そこそこ学んできたつもりではあったが、確かにイマイチ流れを理解できていない部分もあった。例えば、、


● 3rd家光の時代は、日光東照宮とか豪華なもん作って羽振り良い感あるのに、そのわりには奢侈禁止令で農民や下級武士の服装に制限かけたりしてて、景気良いのか悪いのかどっちなんだかよう分からん。


● 4th家綱の時代は、天守閣再建するお金も節約するほどの金欠感あるのに航路が開発されたり、歌舞伎が流行り始めたり、これまた不況なんだか好況なんだかよう分からぬ。


● 5th綱吉の元禄時代においては、さりげなくない感じでギンギラギンしてるクセに呉服屋の売値に上限設けたり、光沢感を禁じたりと意味不明。で、次は8th吉宗による倹約令が来るんでしょ。もう訳ワカメである。


てな具合に、実は消化不良な件がちらほらあっても自分の想像で補うしかなく、誰もちゃんと説明してくれないわけで。教科書でも「元禄時代が終わると財政難になって、享保の改革が始まった」という無味乾燥な事実だけしか載ってない。だがこの本は、その隙間を埋めてくれた。おかげで全体の流れが本当の意味で理解できたので、そのあたりの新知識をまとめておこう。




● 江戸幕府は「中央集権」ではなかった

大阪の陣で豊臣家を滅ぼした徳川家は、あくまで300諸侯の筆頭でしかなく、江戸幕府は300諸侯が集まった「大名の連合政権」。将軍は横並びの大名の中でのトップにいるというだけで、豊臣秀吉がやった侵略主義を踏襲していない。


↑ みんな侵略戦争に疲れてたから「これからは俺がリーダーやるけど、アンタらの所領はアンタらで治めてて良いから、従ってちょ」のやり方で全国をまとめあげた。確かに言われれば、幕藩体制ってそうゆうシステムだわな。



● リーダーなのに実は収益構造が貧弱

徳川幕藩体制において、徳川家は全国3000万石分の中央政府の役割を果たさなければならないのに、徴税権が400万石分しかなかった。実は、あまり知られていないこの点こそが、幕府の慢性的な財政難の根本原因。横並びの代表であっても、諸侯の筆頭者として日本全体に対する責任は生じる。戦争で荒廃した国土を復興させなければならないし、自然災害が起これば救助や復旧などの出費もかかる。


↑ しかも入ってくるのは米ばっかだしね。そんなんでは、むっちゃ金のかかるリーダー役が務まるわけがないのに、実際どうやったかと言うと ↓



● 金山、銀山を全部おさえた

そこで家康は、最初に全国のめぼしい金山、銀山をすべて手中に収める。当時の日本には莫大な金と銀の埋蔵量があり、これだけたくさんの金銀が湯水のように湧いてくるなら、しばらく財政のことなど心配する必要はない。そして本格的な自国通貨を鋳造、流通させることができるようになる。


↑ なるほど目のつけどろがシャープだね。



● そして、ばら撒く家光

家康から家光までの徳川三代の将軍は、とにかく幕藩体制を安定させることに心血を注いだ。全国の諸侯や京都の公卿に反乱を起こさせないように人気取りをしなければならず、溢れ出る金銀を使って、徹底的なばら撒き政策を行った。特に家光のド派手な浪費は有名で、東照宮の造営に57万両もの大金をかけ、参拝すること10回、そのたびに10万両を使い切ったと言われている。しかし、金銀の埋蔵量は無限ではない。1643年には金銀の埋蔵量は底をつき、極端に生産量が落ちてくる。


↑ けれども、この浪費は公共事業と同じ絶大な経済促進効果があり、かつ、その資金は新たに作った金貨で賄われるのだから「財政政策」と「金融緩和」を同時にやったことになる。家光ってばすごい。たぶん本人はその認識ないだろけど。



● 明暦の大火で金がなくなる

家光が死んで、4th家綱の代になった時に受け継いだ金は約600万両。金銀はもう枯渇したので、これを使い切ったら終わり。なのに大火の復興で残り100万両まで目減りすることに。でも、この状況で出し惜しみをせず江戸一新のために決断した保科正之は偉い。おかげで江戸は復興景気に湧くのだが、中国から絹織物を輸入し続けると日本の金銀が流出しまくるので規制をかけることに。


↑ だから天守閣再建を見送ったのね。いよいよ財政破綻が目の前に。どうする5th綱吉。もう金銀は出尽くしたのに、江戸は拡大して人もモノも増えてるってことは、金の量よりモノが多くなるデフレ・レジーム真っしぐら、だぞ。



● 貨幣改鋳でボロ儲けマジック発明

そこで登場したのが経済の天才、荻原重秀貨幣の改鋳作戦で通貨発行益(シニョレッジ)を発生させて、幕庫に500万両もの黒字をあっさりもたらしつつ、世の中の金の量を増やして緩やかなインフレーションを創り上げた。金を溜め込んでた大名たちも貨幣価値の目減りを恐れ、貯蓄を減らして投資に回したので、元禄時代は空前の好景気に。なんたる荻原ノミクス重秀マジック!


↑ しかも「幕府が1両と認めたら屋根瓦だって1両じゃい!」と世界に先駆け現在の「管理通貨制度」を打ち立ててるとこがジーニアス。教科書に「世の中を混乱させた」とか書いてあるけど、それは一部の話で、誰かさんによる印象操作のせい。さて誰でしょう?



● ところが浪費と噴火でまた金欠に

綱吉が寺とか犬小屋とか作りすぎなのもあるが、富士山噴火後の復興でせっかくの500万両も底をついちゃう。やはり中央政府なのに全国への課税権を持たないという初期設定ミスは、改鋳だけではカバーできない無理ゲーであった。


↑ 残る手段は「管理通貨制度」の概念をさらに進めて、幕府が中央銀行として紙幣でも刷ったら問題解決だったのだが、まだ世の中の脳みそがそこまで育っていなかった。



● それで新井白石が真逆のことをやり出す

出ました。誰かさんことガンコ学者の新井白石。「神聖な小判に改鋳なんかするから天が怒っておるのだ!」と荻原重秀を失脚させ(直後に毒殺も?)元の小判に戻す逆噴射改鋳を行い、一気にデフレ大転換。他にも経済オンチぶりをいろいろ発揮した後、8th吉宗に降ろされ退場。


↑ こいつが荻原重秀の改鋳が混乱をもたらしたとデマを吹聴したせいで、綱吉の時代が悪政だったというイメージを助長する。おかげで受験生は元禄時代の人々は好景気でハッピーだったのか、悪政に苦しんでたのか、よう分からんまま単語と年号だけ覚えとけ状態になっとるでねえか。



● 吉宗も「貴穀賤金」思想で空回り

金よりも米を重んじるべきとする思想で、とにかく米価を高騰させたい米将軍だが、米いっぱい作れるようになってるから何やっても米価上がらない。むしろ下がる。だってデフレだもの。そのわりに諸色(他の品目)は米ほど値下がらない。だって米ほど余ってないから。つーことで一番避けたい「米価安の諸色高」の状態に。こうなると、米が給料の武士はいよいよ苦しい。石高制による封建体制まで崩壊の危機に。。


↑ そこで「酒造業を推奨」することで「米の消費量を増やそう」とする涙ぐましい努力もするが、不発に終わる。けどそのおかげで、多種多様な地酒が日本全国で生まれる結果に。(それはありがとうね)



● 万策尽きて、やっぱ改鋳

元文の改鋳してみたところ発行益も入るわ、米価も上がって急にハッピー。年貢の取り立て強化と、質素倹約してたから、あっと言う間に財政再建達成。かくして吉宗は「中興の祖」の称号をゲット。


↑ と、結果オーライになったため、新井白石から発生したデフレ時期の失策も帳消しとなり、その前の綱吉&荻原重秀を悪く言ってたことの訂正もなされぬまま「享保の改革」は偉い!みたいなイメージが出来ちゃった。




さてさて、この先も「田沼意次(おきつぐ)」が好景気を創ったのに「松平定信(さだのぶ)」が緊縮デフレを招いて、その後「水野忠成(ただあきら)」がまたリフレ政策で改鋳して「化政文化」を巻き起こしたのに「水野忠邦(ただくに)」がまた緊縮デフレにしたり、、てな具合でリフレとデフレを行ったり来たりの江戸時代。


景気が良くなりゃ賄賂がはびこり、必ず反対派の誰かが足を引っ張り緊縮デフレに突入。で、そいつがいなくなると再び経済重視派がまた盛り返す、というシーソーゲームである。


そして皮肉なことに、好況を潰される側はいっつも悪のレッテルを貼られて葬られ、潰した側の〇〇の改革は偉大なり的なイメージが歴史に残る。今でも教科書ではそう教えてるし、つくづく歴史は勝者によって作られたものだと痛感する。経済の発展面から見ると、善悪はまるで逆なのに。デフレを招いたやつらが正義ヅラして取り繕っていたとはね。



と言うわけで、次は綱吉時代に幕府の財政破綻を見事に回避した、荻原重秀について深堀りしてみる。元禄時代が面白すぎて、なかなか次の時代へ進めませんの。ごめんあそばせ。


一般社団法人 江戸町人文化芸術研究所

こちらは一般社団法人「江戸町人文化芸術研究所」の公式WEBサイト「エドラボ」です。江戸時代に花開いた町人文化と芸術について学び、研究し、保存と承継をミッションに活動しています。