vol.31「新CEO 吉宗」について


8th吉宗については、調べれば調べるほど奥か深く、長期政権だけに色々な角度から分析できるため、前編は「新CEOとしての抜きん出た実力」に焦点を当て、後編は「米価コントロール奮闘記」にフォーカスした、2部作でお届けします。そんな風にいろんなアングルから死後も吟味されるような人に私もなりたいな。なれるかな。なりたいけれど足りないな。年も力も足りないな。でも今なりた〜い。この後「回れよ地球〜 ♪」のメロディが浮かんだ人は40歳以上ですw(分からない人は「はたらくひとたち」でググってください)ケンちゃんフムフムですよ。どうでもいいですね。


とにもかくにも、8th吉宗は一筋縄では語れない将軍で。その異質さは、なんかもう現代の経営者がタイムスリップしてきた系のやつじゃね?くらいねの勢いらしく。↑ のような本まで出てるんで、ここはひとつ経営者目線で新CEOの分析をばしてみましょうかね




< 良いボスの第一条件、人望がある >


とりあえず吉宗は体がデカいんす。180越えです。ガタイも良くて超健康体。それでいてオラついてもおらず、たいへん理性的な性格で、怒鳴ったことが生涯ないだとか。敵を作らない天性の才能で、とにかく人望が厚い。しかも頭脳明晰質実剛健。慈悲深くて変な癖もない。おまけに、紀州藩の財政難を見事に黒字化した実績も名高い。ここまで揃えば、誰もが時期将軍に推すでしょと。んで実際に誰もが推します。名君じゃ名君じゃと。


ただし、6th家宣の遺言から行くと、本来は「尾張藩から時期将軍を」というのが筋である。なのに、そこに該当してた尾張藩の候補者が次々と不審死しちゃった不気味さは、大奥ドロドロ劇の真骨頂。まあ、吉宗が主導したわけではないでしょうが、紀州藩の江戸家臣らが、天英院と裏である程度通じ合ってたのは間違いないかと


天英院&古株老中らによる権力奪還作戦に、がっつり共謀してたのか、はたまた上手く利用しただけなのか、その関与の度合いは不明なので置いといて。ともかく肝心なのは、7th家継の早世という事態に、どう立ち回ったか、である。尾張藩はその知らせにうろたえてバタバタするばかり。一方、吉宗率いる紀州藩は、まるでこの日を待っていたかのようなパタパタママ(これも知ってると40歳以上)の動き。これは日頃の情報収集と、それを予期した事前根回しなしでは成し得ないこと。しかも紀州藩家臣らが「ぜひ我らの殿を次の将軍に!」と、一致団結してた点からも、吉宗の人望の厚さと熱さがうかがえる。




< 自分が模範となり、人を動かす >


財政赤字の組織を救うには、まずムダ使い支出を減らすことが基本中の基本。ゆえに吉宗は、紀州藩時代から自らの食事を一汁三菜で朝晩二回しかとらず、着物も木綿しか着ずに、皆にも質素倹約を守らせた。皆が隠れて贅沢してないか見張らせる「町廻横目」「芸目付」という監視役を放ち、吉宗本人も夜の見回りに参加したとか。


普通それだけでは反感を買うものだが、吉宗は「各お触れが何を目的にし、目標を達成するとどうなるか」を丁寧にしっかり説明した上で、率先して自分が手本になるので、人々もまた「頑張ってる殿のために協力しなきゃ」という気持ちになるわけで。なんてステキなボスなんざましょ。


他にも新田開発したり、名産品出荷に力を入れたりと、紀州藩一丸となって取り組んだおかげで、紀州藩の財政はみるみる黒字化して金が溜まり、金蔵の土台の柱が重みで折れたらしい。なんじゃその絵に描いたようなV字回復はw




< 人をむやみに罰しない、寛大さ >


ある時、宿直の藩士が酒に酔って刀を振り回し、御用部屋の障子や畳をズタズタに切り裂いてしまった。酔いが醒め、自分のしたことに青ざめる藩士。こりゃ切腹もまぬがれんぞヤベエ、、と。けど吉宗は「酒に酔ったうえでの過ちはだれにでもある。だから今後慎むよう戒めよ。しかしその切り破った障子や襖、畳はそのままにしておくように」と不問にした。泥酔狼籍をはたらいた藩士は、毎朝御用部屋へ出仕するたびに、自分の行ないを眼前にして深く反省することになったそうな。


そんな調子だから、吉宗が紀州藩主を12年務める間に、牢舎が空になったという話もあるくらい。罰を与える前にそれとなく本人に知らせてやり、悪いことをやめさせる手法もよく使ったとか。例え、明らかな罪があっても死罪にすれば遺族の怨念が残る。まして無罪であれば、より強い怨念が残る。そうゆうことを計算した上で事に応じる。そのように家臣を罰することには細心の注意を払った吉宗。確かに、罰せられるより許された方が感動して心入れ替えるかも。




< やたらと何でも知ってる情報通 >


吉宗は「町廻横目」「芸目付」に続き、将軍になってからも「御庭番」という諜報員を利用している。つまりは忍者である。諸大名が、日頃どんな批判や悪口を言っているか、吉宗があまりに何でも知っているので、薄気味悪がれたと言う。また、かの有名な「目安箱」も情報収集方法のひとつであり、おそらく、そのほとんどが悪い役人に対する密告だったろうと思われる。吉宗は、そうした情報を知っておきながら行動には出ない。ただ「すべてを知っている」ことをほのめかすのみ。これが一番怖い。これでは吉宗相手に下手な嘘はつけないし、やましさを秘めてる者には抑止力になる。嫁さんにこれをやられたら、すべての旦那さんが大人しくなるのではあるまいか。


ついでに「目安箱」の効き目について、もうひとつ言及すると。目安箱から庶民の意見を将軍が吸い上げ、良い観点のものはトップダウンで命令を下す。それはイコール「中間が手を付けずにいる仕事」を動かすことになる。これにより出来たのが「小石川養成所」であり、それまで放置されていた貧乏人の病気対策が施された。言わば、中間の役人や老中たちを、下と上から挟み撃ちにした形。うかうかサボっては居られない構図である。つくづく賢くて楽できないCEOが来ちゃったもんだ。




< 新CEOはリストラも鮮やかなり >


吉宗は大奥に入ると、まず、見目麗しい美女を50人リスト化させた。誰もが、その中から夜の相手を選ぶのだろうと思ったが、吉宗はリストが出来上がると中身も見ずに「んじゃこの50人はクビで」と。大奥トップ50の美人なんだから、里に帰らされても誰か貰い手がいるだろし困らないでしょ、と。みんなビックリするが、確かにそうねと納得してしまう鮮やかさ。


間部詮房新井白石を引きずり下ろしてご満悦の古株老中たちに対しても、その地位をちゃんと確保し、尊重してあげながらも、江戸の現状についてあれこれ質問をぶつけ、答えられない無能な老中を炙り出し。炙り出すけど咎めない。咎められないけど己の無能さを引き立たされ気まずい老中たち。やがて居づらくなり「歳をとりましたので」とか「病気になりましたので」とか言って、自ら辞職を願い出ることに。大ナタを振るうことなく、余分な人員を自然削減しちゃうこの手法も、実に鮮やか。


ちなみに、吉宗の細かい質問に唯一なんでもスラスラ答えられた「水野忠之(ただゆき)」は、吉宗の右腕として取り立てられてゆく。そう言えば、この水野家って、遡ると徳川家康がまだ三河の小僧だった頃に、織田信長と徳川を繋いで「清洲同盟」を成させた「水野信元(のぶもと)」が有名で「どうする家康」では、寺島進さんが小憎たらしく演じてましたね。↓


● 家康を助け、徳川の天下を支えた水野氏

https://higashiura-kanko.com/history/mizunoke/




< そして増税へ >


他にも「町火消(いろは48)」を組織させたり、鷹狩り制度を復活させて幕府(武士)の権威を取り戻したり、鎖国を強化しながらも実用に繋がる蘭学などは庶民にも推奨したり、と、いろいろ変えたことらを総合して「享保の改革」と呼ぶまする。

ここまで、吉宗のカリスマ性と特殊能力が存分に活かされた良い改革の連続でしたが、やはり財政赤字を抜本的に解決するには増税するしかないわけで。この後「上米制」や「五公五民」なる新制度の導入がなされ、吉宗の「米価コントロール奮闘記」が始まります。



さあさあ次回、果たして新CEO吉宗は、幕府財政をみごと回復させ、崩れかけた封建制度を立て直すことができるのか? でっきるっかな、でっきるっかな ♪ ノッポさんゴン太くんですよ。どうでもいいですね。

一般社団法人 江戸町人文化芸術研究所

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