vol.32「米将軍 吉宗」について


ではでは、お次は「米将軍」と揶揄された8th吉宗の「米価コントロール奮闘記」をまとめてまいります。まいりますけど、市場経済の知識がないと何で物価が上がったり下がったりするのか難しくて、まいります。まいりますけど、まいらなくて済むよう簡潔にしてまいります。マイル要ります。あ、今のは忘れてください、言いたかっただけです。




< とにかく米価を上げたい吉宗 >


幕府の収入は、幕領から年貢で納まる米のみ。その米を給料として家来の武士らに支払うシステム。年貢量は、不作で減ることはあれど、豊作でも上限量はだいたい決まってるのに対し、支出は、災害やら寺社建立やら浪費やらで、跳ね上がりがち。つか収入より支出の方がいっつも多い。だし、山から金銀を掘り出して不足分を補ってたのに、ついに掘り尽くしてへそくりも無くなっちゃった。やば。と気付いた頃には、世の中もうバリバリ貨幣経済に移行中で、武士らは給料でもらった米を貨幣に換金して、米以外のものを買わなならん状態


なのになのに、世の中に出回る米の量に対して、諸色(米以外のもの。醤油とか豆腐とか何でも)は量が少ない上に需要が多いから価値が高い。米はわりと余ってるから価値が低い。米価が低いと、武士は米をたくさん売って諸色を買わなあかんわけで。米価が下がると、武士は給料が下がったようなもの。だから「武士は食わねど高楊枝」なんて言葉ができるくらい慢性的に貧乏気味。空腹でヘロヘロの武士なんて権威もへったくれもない。


だし、とりあえず鷹狩り復活して幕府の権威を取り戻しつつ、ヘロヘロ武士の鍛え直しはするけれど、そもそも、石高制で幕藩統治してんだから、米に価値がないと封建体制が成り立たないわけよ。「士農工商」なんだから、武家と百姓は偉いんだぜ? ものづくりする職人もね。けど商人なんて人が作ったもの右から左に流してるだけやんけ。そんな流通業者に大儲けされて、米と武家が貧しくなるなんて許せるわけねーじゃろがいっ!




< とゆーことで手始めに >


吉宗が何をしたかと言うと、土下座です。いや実際に土下座はしてませんが「てな訳で、武家社会と幕府財政がピンチなので、ひとまず増税させてください。代わりに参勤交代の期間半分にしますんで、恥をしのんでお願いしゃーす!」と、各藩の諸大名らに「上米の制」を頼み込みました。木綿を着た将軍に、ここまで堂々とダサいこと言われたら協力せざるを得ない諸大名らは「まー参勤交代が短くなると経費浮くし、いーか」と、応じます。


すると次に「ついでに収穫した米の年貢率、いま4:6の4が年貢だけど、5:5にさせてちょんまげ!」と、「五公五民」の増税策をサラッと通します。農民の暮らしは三公七民でかろうじて成り立つと言われてたので、生活が苦しくなった農民は、農業を放棄したり一揆を起こして訴えたりするようになり「せっかく自分らでも白米食べれる余裕が出てきたとこだったのに、ふざけんな増税チョンマゲ野郎!」と、怒ります。


そして今度は、お金持ちの商人らに対して「キミの資本で新田開発してみないか!」と募集をかけ、開発した新田の土地使用料を認めたので「紫雲寺潟新田」や「武蔵野新田」などの大きな新田が誕生。これら増税&石高アップで、頭打ちだったはずの固定収入がドカンと増え、支出も倹約やリストラで切り詰めたかいあって、みごと財政回復! やったぜ! と、思いきや、、




< 肝心の米価がみるみる下がってゆく、、>


「新田作って米が増えたんだから当たり前です」と大岡越前に嗜められ、ひとまず諸色の物価高を抑えるために「株仲間」を認めることに。これにより同業者間の競争で仕入値の吊り上げがなくなり、諸色の物価がとりあえず安定。


「そんじゃ次は米価アップのために米を減らさせよう!」と、幕府や諸大名や商人に米を買わせる「買米令(かわせまいれい)」を出す。だけでなく、飢饉に備えて「囲米」も推奨、と言うか命令したり、大阪や江戸に米が流入しないよう「廻米制限令」を出したり、これまで禁止していた米切手の為替化も容認(結果的に米の延べ売買となり、米の売出しの先送りとなる)したりと、あのテこのテ。


「あと酒だ、酒じゃんじゃん作って米消費して!」と酒造りを推奨し、全国各地に酒蔵をたくさん作らせたり「こうなりゃ今まで禁止してた米の買い占めもオッケーにする!」とまでもするのだが、米価はいっこうに上がらず「ぐぬぬ、なんでじゃー!」と咆える吉宗。どうか米が減って米価が上がりますようにと神に祈ります




< すると、冷夏と蝗害が起こり >


享保の大飢饉」が発生します。被害は西日本諸藩のうち46藩にも及び、餓死者は1万2000人にも到達。福岡藩領内では、疫病が流行したこともあり、施粥などを求めて福岡城下に流入した農民が多数行き倒れ、約10万人が餓死。身なりも立派で金100両を持っていた人物が路傍で餓死した事例もあるとか。おかげで米価が急騰し、庶民じゃとても買えない値段に爆上がりです


「いくらなんでもこれは行きすぎー!」吉宗あわてて囲米の強制放出とか、米の買い占め再禁止とかしますが焼石に水で、「吉宗に協力し、米価の安定に尽力していた米商人の高間伝兵衛が、米を買い占めて米価をつり上げようとしてるらしいぞ」という噂から、江戸でも窮民2, 3000人が参加する大規模な「享保の打ちこわし」が発生。あれだけ米価を上げたかった吉宗ですが、今度は米価を引き下げるために奮闘します


翌年秋、待望の新米が出回り、混乱もおさまると、またもや米価が下落。打ちこわしも無くなり庶民が飢えないのは良いけど「、、ふりだしに戻ってしまった、、」と膝をつく吉宗。質素倹約と年貢増税の面では強烈なリーダーシップを発揮した新CEOも、米価コントロールというミッションインポッシブルには翻弄されっぱなし。そこで満を持して大岡越前が吉宗の肩を叩く。




< また改鋳すれば良いんだよ >


米にこだわる米将軍としては、商人の貨幣経済を応援するような改鋳はしたくない。されど米価コントロール策はもう出尽くした。ならば背に腹は代えられまいてことで、しぶしぶ「元文の改鋳」に着手。金の含有量を減らす代わり、100両を165両と交換してあげる大盤振る舞いにつられて、みんなこぞって交換する。


すると貨幣流通量が増えて、貨幣価値が下がり、物価が上がる。物価が上がれば米価も上がる。ってなわけで、新井白石デフレからようやく脱却し、念願の米価アップもすんなり達成。それまでに講じたあらゆる増税策によって増えた年貢(米)がそのまんま増収増益となり、傾いていた幕府財政も黒字が出る出る。おかげで幕府の収入の部は、過去最高の数値を記録


かくして、見事に財政立て直しを果たした吉宗は「中興の祖」として、輝かしく歴史に名を刻むことになる。わけだけども、まあ、賛否両論ありまして。確かに一時的にはバランスシートを改善してはおるものの、物価は米価も諸色も総じて上がったわけで、果たして武士の暮らしは楽になったのかどうかは、疑問なところ。貨幣経済へのシフトもまだまだ続くし、根本的な解決にはなっていない。また大飢饉が来たら、米価もまた乱高下するわけだし。。




と言うわけで、そもそも米経済から貨幣経済への転換こそを、どげんかせんといかんのに、頑なに旧米システムにこだわり続けた米将軍。まるで「見事に成し遂げた感」出してますけど、実際は微妙です。故に、この「享保の改革」のあと「寛政の改革」「天保の改革」と、いわゆる第二弾、第三弾の改革で追加修正していかなきゃいけないハメになるわけで。まだまだ真の課題を内に残したまま。


それでも、これだけいろいろ頑張ったのは偉いよねって話で。家康の再来とも謳われ、私利私欲に走らず国に尽くした爽やか吉宗の偉大さをよく表した逸話がこちら↓


ある家来が風呂上がりに吉宗に「いやー良い風呂でした、まるで天下を取った気分になりましたわ〜」と言ったら、吉宗は「おいおい、天下を取るってのはな、朝廷から庶民まで全員のことに気を配らなきゃいけなくて、風呂で気持ちよくなるのとは正反対の、ものすんごく気の休まらない想いなんだぞw」と爆笑したそうな。


私だったらこの台詞の最後に「テメーなめてんのか殺すぞw」と付けちゃいそうですが、それをしないあたりが吉宗の器の大きさですね。とりあえず「米価コントロール奮闘記」お疲れ様でした。風呂入って歯磨いて宿題して寝ますね。明日も美味しいお米が食べられますように!

一般社団法人 江戸町人文化芸術研究所

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