vol.34「小川笙船」について

小川笙船(おがわ しょうせん)?

知りませんな。海運系の方でしょうか?


調べたら正解は町医者だとか。なんでも『赤ひげ』のモデルになった人とか。けど、その赤ひげってのも聞いたことはあるけど、読んだことも観たこともなかったので、これを機に未鑑賞だった黒澤明監督作品を観てみましたところ、、


長げかった。。3時間あったし。。


でもそれなりに楽しみましたよ。三船敏郎と加山雄三のイケメンっぷりが炸裂してますね。これが医療系ドラマの先駆けなんですと。その影響で「ブラックジャック」を筆頭に、今でもその路線で「ドクター何とか」のシリーズものが作られ続けることになるとは、さすが世界の黒澤明。

まあ、作品としてのレビューは映画通の皆様にお任せしまして、とりあえず小石川養成所のイメージがよく掴めて、小川笙船についての史実調べも捗りましたので、今回勉強したことを以下にまとめます。




⚫︎ この頃、江戸は貧乏人で溢れていた


江戸中期には農村からの人口流入により江戸の都市人口は増加し、没落した困窮者が都市下層民を形成していた享保の改革では、江戸の防火整備や風俗取締と並んで、下層民対策も主眼となっている。元禄時代に職にあぶれた者、宝永大地震で住処をなくした者、享保の改革による増税で百姓を辞めて江戸に来た者などが溢れ、格差社会が広がっていたのである。


そこへ来て、麻疹や風邪の流行が江戸を襲う。特に6th家宣の命をもサクッとかっさらって行ったインフルエンザは、享保元年(1716)江戸中で猛威を奮い、ひと月で8万人以上を死亡させた。当然ながら貧乏人は医者に診てもらうことができず、町中でゲホゲホ、ぐったり、ポックリ、の有様。



⚫︎ 目安箱から生まれた「小石川養生所」


その状況を憂いた町医者の小川笙船は、8th吉宗が設置した目安箱に、江戸市中の貧困層への診療施設となる施薬院の設立を求める意見を投書。この意見が採用され、誰でも無料で診療してもらえる「小石川養生所」が誕生する。まさに聖人、医者の鏡ですな。


ところが、養生所が幕府の薬園であった土地にできたこともあり「タダで治療が受けられるなんてそんなバカな」「薬草などの実験台にされるに違げぇねえ」と疑って、あまり養生所へ来る者はいなかったらしい。加えて、庶民が養生所に入るためには、各々の住まいの町名主の決裁が必要であり、庶民も町名主たちも、これを煩わしいと感じていたのだとか。


状況を打開するため、町奉行「大岡越前」は250名を超える全ての江戸町名主を養生所へ呼び出し、施設や業務の見学をさせる。さらに笙船の要請により、入院手続きの簡略化も進めた。これらの施策により誤解は解け、患者は激増。逆に入所希望者を全て収容できない状況に。



⚫︎ 医師の使命を貫いた小川笙船


その後も療養所の設備や診療体制の拡充に勤め、享保8年(1723年)養生所設立と運営の功績を評価され、幕府の医官に取り立てる内示が出たが、笙船はこれを断る。己の富や名声よりも、目の前の命を救うこと、あるいは死を看取ることに人生を捧げたのである。


また、笙船は若い医師の教育にも力を入れた。頑固で偏屈だが、しっかり命と向き合う気高い笙船の生き様に感化された若者も多く、後に『赤ひげ』という作品が生まれる。これを映画化した黒澤作品でも、加山雄三が演じる若き医者が、三船敏郎演じる笙船の弟子となり、その意志を継いでゆく様が描かれている。



⚫︎ 吉宗は、花見と花火で癒しを与える


そんな庶民に辛い時代の中、享保の大飢饉まで起こって貧困層の生活はズタボロ。そこで、吉宗はせめて庶民のためのレクリエーションをと、隅田川に面した場所に、桜の木をたくさん植えさせ、花見の名所を創り上げた。また、火事の元として禁止していた花火の規制を緩和し、飢饉と疫痢の流行による死者の慰霊と悪疫退散のために、両国で花火を打ち上げる川開きを開始。これが後の隅田川花火大会として今も残っている。


庶民たちが、家族あるいは友人や仲間たちと一緒に、休みの日などに憩いや家族の団欒で出かけ、みんなで花見をしたり、あるいは梅を見たり、桃を見たり、柳を見たりする。特に春の季節は桜を見る。これらは、人々の心を和ませる。そこに茶店などの商いが出て、花を見ながら、酒盛りや食事をする。屋台が出て、おでんを食べる。そして、家族のつながりを豊かにし、絆を強く固くしていける場所を吉宗は提供した。


そうすることで、人々が幸福感を味わえる機会をつくり、庶民の日々生きる辛さ苦しさを癒したのである。政治は上から押さえ付けるだけではうまくゆかない。どこかでガス抜きをさせる必要があることを吉宗は心得ていた。話題性のある郊外の新名所に人々の目を向けさせ、軽犯罪が多発していた江戸城下に集中しがちな人口のエネルギーを、健全な行動で分散させる狙いもあった。


かくして、医師の鏡の小川笙船の「気高き情熱」と、それを採用したり庶民への気配りも欠かさない吉宗の「バランス感覚」が、目安箱というマッチングアプリを介して見事にコラボレーションしたのが、この小石川養生所なのだろう




なかなかどうして良い話を学んだものだ。今の小学生は道徳の教科書でこれに触れるらしいが、私の頃は「甘藷先生」だったような。『怒る富士』の伊奈半左衛門と言い、人の命を救うことに尽力した「真のヒーロー達」が歴史の授業でサラッと流されて埋没してるのが口惜しいっす自分。


確かに、単独の伝記にするには帯に短しである感は否めないが、こうした隠れヒーローを集めてスポットを当てる動きを誰かしてくれまいかのう。先日、映画『ナポレオン』観て来たけど、派手に人命奪った人より、地味に人命救助した人の方が偉大だと思うの。5th綱吉以降、江戸時代の流れから急に興味なくなるのは、そーゆー逸話を飛ばしちゃうからだと思うの。私そう思うの。


よし、んじゃいつか番外編的に「私が選ぶマイナー江戸ヒーローズまとめ」でも作ろうかしらん。タイトルは『(歴史の教科書から)アブレテンジャーズ』で。なんつってw

一般社団法人 江戸町人文化芸術研究所

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