vol.37「江戸の粋」について


『まいまいつぶろ』で号泣して、しんみりムードになっちまったので、また江戸の庶民のお気楽世界に即出戻りやす。いや〜幕府の中の話は息苦しくていけねぇや。あっしら町人は、お偉いさん方の権力駆け引きなんかより、目の前の流行り廃りに振り回されてりゃ良いんでさぁ。ってなわけで、今回のテーマは「江戸の粋」つまりは「江戸の流行りもん」でごぜぇます。まぁ肩肘張らず、気楽に読んでやっておくんなせぇ。(ちなみに『江戸はスゴイ』からの抜粋なのでネタバレ注意でごぜぇますだ)


⚫︎ 歌舞伎役者が流行の最先端


兎にも角にも、江戸っ子は歌舞伎が大好きでしてね。今で言うならジャニー、、おっといけねぇ、その名はもう御法度か。ならBTSとかJSBみたいなもんですわ。いや違うか。じゃ昔で言うビートルズ?ってそれも違うな。ま、とりあえず老若男女に大人気の男アイドルってなわけで、彼らの粋なファッションスタイルを誰もが憧れ、誰もが真似するってとこは、今も昔も同じはず。


だいたい江戸時代ってのは、時を経るごとに幕府による質素倹約令の縛りがきつくなり、うちら庶民のオシャレがどんどん制限されてってんすよ。だから ↑ この右の歌舞伎役者も一見、表地は黒羽二重の地味な着物姿ですけど、中の襦袢は目の覚めるような紅絹でしょ。あと見てくだせぇよ、あの派手な卵色の足袋。しかも、くるぶしが見えるギリギリでカットして足長効果まで演出してますが、どちらも見事に幕府の規制をかいくぐってるときたもんだ。


極め付けは、頭に巻いた江戸紫の鉢巻。江戸紫ってのは、武蔵野に自生するムラサキ草で染めた色のこと。あれには解熱作用があるってんで普通、病人が巻いて左側で結ぶもんを、わざと右側で結んで「超元気です!」って印にしてんでさ。ったく、やることも着こなしも、お上の裏をかいてて粋だねぇ。そりゃ真似したくもなるってんだ。


⚫︎ 歌舞伎から生まれたデザインも豊富


着こなしだけでなく、数々のデザインも歌舞伎から生まれてましてね。格子(チェック)柄は、初代・佐野川市松の衣装から爆発的ヒットになった「市松模様」、勧進帳の弁慶の衣装に使われてから様々な役柄で用いられた「弁慶格子」など、女性までもが日常ファッションに取り入れるまでに一般化したデザインですわな。


縞(ストライプ)柄も、歌舞伎由来のバリエーションが豊富。わざわざ人気役者が自分のオリジナル柄をこさえて舞台で披露するってんだから、ある意味もう新作発表ファッションショーでさぁ。3代目尾上菊五郎が考案した「斧琴菊」は(斧は〝よき〟とも読むので〝よきこときく〟→〝良きこと聞く〟)てな意味で。7代目市川團十郎の「かまわぬ」は(鎌+輪+ぬ=〝かまわぬ〟→〝構わぬ〟)てな感じで洒落が利いてらぁ。


そんで、衣装と芝居に魅了された帰り道、呉服屋の前を通ると「あの新作衣装柄ありまっせ〜!」と呼び込みしてやがる。観劇の熱狂冷めやらぬとこへ、あの憧れの役者と揃いの柄が着れるとなれば、飛びついちゃうのが初物好きの江戸っ子よ。呉服屋と役者にまんまと転がされてるわけですが、派手な色柄がお上に禁止されてんで、こうゆう付加価値もんでオシャレを楽しむしかねぇもんでね。



⚫︎ 人気過ぎてもうブームなんてレベルでねぇ


色も、茶色とか鼠色といった地味なものでも、役者独自のバリエーションが生み出され「シブイ!かっちょイイ!」てなる。上方役者の初代・嵐璃寛が好んだ「璃寛茶」や、五代目松本幸四郎の「高麗納戸」など、役者名や屋号が冠になった色はファンがこぞって身につけるわけ。安室奈美恵のアムラーならぬ、松本コウシラーってなもんで。


こうして茶色、鼠色だけでも〝四十八茶百鼠〟と呼ばれる豊かなグラデーションが展開するようになったんと。質素倹約の規制下でもオシャレを諦めず、むしろ工夫を凝らしてオリジナリティあふれる新しいファッションを創り出していった歌舞伎役者たちは、スター俳優でありながら、人気ファッションモデルでもあり、トップデザイナーでもあり、売れっ子アーティストでもあったわけでさぁ。そりゃモテますぜ、旦那。


中でも江戸時代で一番モテたのは8代目市川團十郎で。舞台で水に飛び込む演出があった際、その残り水を美肌化粧水として販売したら飛ぶように売れたとかw ところが人気絶頂の時に自殺しちまい、↓ こんな死絵と呼ばれる浮世絵が300種類ほど作られたらしい。人気者は辛いですなぁ。つまさきペロペロされて、そらこんな顔にもならぁw



歌舞伎役者はみな男性ですが、女性で人気者と言えば、やはり吉原の花魁でござりましょう。水商売だからと蔑む風潮もなく、豪華な衣装も幕府から大目に見られていたため、煌びやかで美しい花魁道中姿に大衆は魅了され、常に憧れの的でありんした。

⚫︎ 伝説の花魁「勝山」


中でも有名なのが、明暦の大火前の元吉原(人形町)で活躍した勝山太夫でして。美人でその上、伊達な異風を好み、髪型も下げ髪を曲げて輪とした屋敷風に結い上げた姿が評判となり、道中姿を一目見ようと道の両側にたくさんの人たちが並んだという。多くの女性たちが、その髪型をこぞって真似たことは、その後に書かれた肉筆浮世絵の女性たちを見ても一目瞭然。


足を内側から外側に大きく踏み出す勇ましい歩き方=外八文字で町を闊歩する姿が話題となり、この型が後の花魁たちに引き継がれ、江戸の花魁道中と言えば外八文字となりんした。ところが、花魁デビューからわずか3年で忽然と姿を消してしまい、一説によると母の訃報により供養のため巡礼の旅に出たというが、真相は不明。その後、勝山を見た者は誰ひとりいねぇんですと。まさに伝説。。


⚫︎ 会いに行けるアイドル時代が到来


吉原の花魁は高くて手が出せねぇって旦那には、水茶屋の娘がオススメですぜ。特に ↑ この「笠森お仙」は、人気浮世絵師・鈴木春信の錦絵(多色刷りの浮世絵)に描かれて大フィーバーしましてね。とにかく、お茶一杯の値段で会える、話せる、握手もできるってんで、江戸中からファンが押し寄せたとか。ケバい花魁と違って、素朴で薄化粧の素人感がたまんねぇってね。手拭いなどのグッズまで作られたりして。大人気でさぁ。


ところが、お仙もまた人気絶頂の時に忽然と姿を消しちまう。実はお仙、幕府の御庭番と極秘結婚して寿引退してたんですと。御庭番って言ったら隠密なわけで今で言うスパイですよ、スパイ。で、ある日突然、お仙がいなくなって薬缶頭(やかんあたま=禿げ頭)のオヤジだけになってるもんだから「とんだ茶釜が薬缶に化けた!」という言葉が流行語になっちまうくらい、みんな大騒ぎだったらしいですぜw


⚫︎ 会いに行けるアイドル戦国時代へ


お仙の電撃引退後、各店舗でも美人の看板娘を置いた集客合戦が始まりやす。寛政期にその頂点に君臨したトップ3が ↑ こちら。左が「高島屋おひさ」。おっとりした性格で愛嬌があり求婚者が殺到したそうで。真ん中は「富本豊雛(とよひな)」。吉原の座敷を盛り上げるBGM担当の裏方スタッフでしたが、仕事中にとある大名に見初められ側室に。右が一番人気の「難波屋おきた」。普通の客には愛想良いが、自分を見に来ただけで営業妨害になる輩には容赦なく柄杓で水をひっかけるなど、勝気な性格。そこがまた良いんでしょうかねぇ。



⚫︎ 火事と喧嘩は江戸の華


って言葉の「喧嘩」の部分は、町の普通の喧嘩よりも、火消し同士の喧嘩のことを指すんでしてね。消火活動を競い合って大喧嘩する火消したちの勇ましさに華があるって意味なんでさぁ。なんせ、あいつら基本が鳶職ですからね、火が広がらないよう建物をガシガシ豪快にぶっ潰してくってんだから、荒々しくって見応えも満点。ある種のエンターテイメント状態ですわ。


また、火消しはマッチョで刺青だらけだから、なおさらカッコイイんでやんすよこれが。刺青は奢侈禁止令の対象外なもんで、火事場でバッと服を脱ぎ、鮮やかな色柄を彫られた筋肉隆々ボディあらわに町を守る姿は、男の色気がムンムン。刺青を入れるのは当然痛みを伴うわけですが、裏を返せば、痛みに耐えてまで反体制のオシャレを選んだって証でもあり。そりゃモテるに決まってらぁ。


そんな人気者の火消し軍団と、これまた人気者の相撲力士軍団が大人数で大乱闘したのが、有名な「め組の喧嘩」でして。火事でもないのに火の見櫓の早鐘を鳴らして仲間の動員をかけたり、相撲部屋からも応援が飛び出してきたりと、なかなかお目にかかれない異種格闘技団体戦が繰り広げられたってんだから、祭りですわ。詳しくはwikiさんとこへお立ち寄りくだせぇな。↓

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/め組の喧嘩




てなわけで、江戸には江戸の流行ってもんがありやして。いわゆる粋と野暮の物差しで、イケてるかイケてないかが別れつつも、ひとたび「粋でイカしてるね!」となれば、我先にと飛びついちまうのが見栄っ張りな江戸っ子たる所以でもあるわけで。何はともあれ、最先端の流行りもんと、その発信リーダーに、踊り踊らされの毎日を楽しんで、嫌なことは綺麗さっぱり忘れて生きてこその我々、庶民でやんす。


そうそう、他にも我ら庶民が熱狂した「相撲」って要素があるんですがね、それはまた別の個別記事にて語るとしやしょう。長くなるんでね。ひとまず今回はこれにてお開きですわ。さ、解散、解散。こんなとこでいつまでも油売ってねぇで仕事しなっ。


⚫︎ マメ知識メモ「油を売る」とは

http://www.abura-ya.com/kobore/kobore01.html

一般社団法人 江戸町人文化芸術研究所

こちらは一般社団法人「江戸町人文化芸術研究所」の公式WEBサイト「エドラボ」です。江戸時代に花開いた町人文化と芸術について学び、研究し、保存と承継をミッションに活動しています。