vol.78「家定の人生」について


12th家慶のとっつぁんに続いて、13th家定ボー(坊)も、特にこれといったことをしていない。ので、既存のWEB記事を閲覧しておくだけで大丈夫である。しかし、それではこの記事がもう終了してしまうので、今回は家定ボーの精神状態を勝手に想像しながらまとめてみます。まあこのブログ毎回そんな感じですけどね。読者ゼロだし別に良いでしょ。




⚫︎ 自分だけ生き残ってしまった


とっつぁん坊や家慶は、ビッグダディ家斉に負けじと14男13女を儲けたが、成人まで生き残ったのは4男の家定ボーだけであった。って、もういきなり超鬱な話。兄妹のお葬式出ること26回ですか。それって毎年が喪中状態だろうし、明けましておめでとうって言ったことあるのだろうかレベル。原因がはっきりしない死も多く、もう呪われてるか暗殺されてるとしか思えなかったことでしょう。


最後の2人になってからの、その片割れに死なれた日ったらば、どんな心持ちだったことか。なんですかこれは、或るサイコキラーの生い立ちの話か何かですか? ってくらいダークな少年期である。




⚫︎ 人を見たら暗殺者と思え


そんな経緯からか、家定ボーは人前に出ることを極端に嫌い、乳母にしか心開かなかった。また、幼少の頃に患った痘瘡のため、目の辺りに痣が残ってしまい、これが人前に出るのを嫌った一因ともされている。家定ボーは毒殺されることを常に恐れ、じーちゃんである家斉に会った時も、出された食事に手をつけないという非礼を行なっている。


大御所を相手にそれをやれてしまうほど疑心暗鬼になっていたのもあるが、実際、家斉派の家臣らは家定ボーの排斥を画策していたらしいので、正しい危機管理判断である。逃げ場のない大奥に囲われた中で、命を狙われながら生きなきゃならんって、これなんてデスゲ?




⚫︎ てことで「うつけ」を演じる


自分に価値がないと見せれば危険が減る、と考えたかどうかは知らんがアホっぽくなる家定ボー。お菓子や、ふかし芋などを作り、自分だけで食べずに時には家臣たちに振る舞っており「イモ公方」などと呼ばれ、バカにされた。しかし自分でよく調理をしたのは、猜疑心が強く、毒殺を恐れての事であったとも言われる。一石二鳥でなかなか賢い家定ボー。


ともかく、その甲斐あってか父である家慶のとっつぁんも「時期将軍は家定じゃダメだ」と判断し、水戸の慶喜(よしのぶ)を候補に揚げる。よっしゃ〜将軍候補から外れればもう命もそうそう狙われまい、と心の中でガッツポーズ。したのも束の間、阿部正弘らの反対でやっぱ次期将軍に決定。くそ、阿部のやつ余計なこと言いやがって。




⚫︎ 嫌なタイミングで将軍やらされるハメに


ペリー来たとたん親父が死による。で13th将軍就任。おいおいかんべんしてくれよ、と政は全部、老中首座の「阿部正弘」に恨みのノールックパス。パスされた阿部ッチは、ここからの対応でテンパッて死んでしまう。西洋列強国らと国内攘夷派の板挟みにされた心労とストレスが、彼の寿命を縮めたのであろう。阿部ッチお気の毒に、とはまさに。


とりあえず、ペリーの次に来たハリスとの引見は、そつなくこなしたものの、家定ボーのミッションとしては子作りがメイン。もらった嫁が連続で死んでるので、次は強そうな薩摩の女(篤姫)を嫁にもらう。けど、もともと病弱な家定ボーは体調がどんどん悪化してゆき、子作りどころでない。


ストレスなのか脚気なのかコレラなのか毒なのか、原因は不明。やはり呪いなのか。。人生ハードモードすぎて辛い。




⚫︎ 案の定、世継ぎ争いが勃発


幕府内部では、南紀派と一橋派がそれぞれの次期将軍候補を擁して政争を展開。幕府大老・井伊直弼らは、紀州藩主「徳川慶福(よしとみ、後の家茂)」を推薦。対して水戸藩主・徳川斉昭や薩摩藩主・島津斉彬らは、一橋家の「徳川慶喜(よしのぶ)」を担ぎ上げる。南紀派と一橋派の争いは、大奥や譜代大名、さらには開国派と攘夷派の対立も加わって複雑化。幕府の権威を大いに弱体化させてゆく


やむなく家定ボーは、諸大名を江戸城に招集。慶福(家茂)を後の将軍にするという自らの意思を伝え、一橋派の処分を発表。これが最初で最後の将軍らしい家定の姿だったとか。あるいは、そうするように井伊直弼に仕向けられたのか。




で、すぐ亡くなるわけですよ、死因はハッキリしませんが。享年35歳。将軍在任期間は、たったの4年くらい。開国するかしないか大揉めの局面で、親父に続いてのサクッと退場ですよ。オレは一体何のために生まれてきたんだろう状態ですよ。脳性麻痺もあったみたいだし、ちょっと可哀想すぎやしませんかね。家定ボー、人生楽しかったのだろうか?


親ガチャ1等賞は、必ずしも1番ラッキーとは限らないってことですな。次は菓子職人の子供くらいのを彼が引けたことを祈るばかりである。


ってことで家定ボーの気の毒な人生の話はこれにておしまい。次の記事からはペリー来航をきっかけにドタバタ劇を繰り広げた面々にスポットを当てて、まとめ直してゆきたいと思います。


と、その前に。夫にすぐ死なれてしまって残された篤姫について、少しメモっておこう。↓



篤姫は、本来は一橋派から送り込まれたスパイでもあり、なんとか家定自身に慶喜を時期将軍に指名させるよう仕向けること、を期待されていた立場。ところが、いざ結婚してみたら案外良い夫婦仲になってしまい「こんなラブラブなのに養子の話を持ち出すのもちょっとな〜」と躊躇。だって自分が妊娠するかもしれないし〜。とか思ってるうちに、家定が病に伏せる。みんなで看病。家定ムクッと起きて、慶福(家茂)指名宣言。またバタッと倒れて急死。あっと言う間に未亡人でミッション失敗。


けどその後、あくまで徳川の人間として徳川幕府のために尽力し、明治維新後まで活躍したのは周知の通りである。おそらく家定との結婚生活の中で、短いながらもお互い心を通わせ愛し合えたのかと思われる。本当にそうだったのであれば、家定ボーの鬱な人生も少しは浮かばれよう。


(13th家定 退場)

それにしても宮崎あおい、かわいいなあ。




参考
https://www.touken-world.jp/tips/44527/
https://netlab.click/jphistory/prof_iesada

https://sengoku-his.com/276

一般社団法人 江戸町人文化芸術研究所

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