さて、政は蚊帳の外だった12th家慶と13th家定のくだりは先に済ませといたので、改めてペリー来航から始まるドタバタ劇を振り返ってみよう。尚、ここから先の幕末ステージは、登場人物が多く、それぞれの人生が同時期に絡み合ってくるのため、もはや「だれだれについて」と記事ごとに主役を立てるのではなく、なるべく時系列順にまとめてゆくことにする。
なぜなら、誰かひとりの人生を追ってしまうと、毎回あっと言う間に明治に辿り着いてしまうからだ。それくらい黒船来航から明治維新までの展開は目まぐるしくスピーディーだったらしい。その中で、明治時代まで生き残る者もいれば、途中退場する者もいるわけで。誰と誰がどう絡み、対立し、協力し、何がどうなって江戸時代が終わっていったのか、を、しっかり学んでいざゆかん。
⚫︎ 幕末前半の主な登場人物まとめ ↓
⚫︎ まずはテンパる阿部正弘から
オランダからの噂で来るかもよとは聞いていたが、たぶん実際には来ないでしょ、と踏んでたのにホントに来た。見たこともない蒸気船。は〜これが産業革命ってやつですかい。大砲のレベルもウチのとはラベルが違いそう。怖いから、とりあえずお手紙受け取ってお引き取り願ったけど「これから仲良くしようぜ四露死苦」って書いてある。。しかも「返事を聞きに、来春アイルビーバック」て低音ボイスで言われたし。どどど、どうする家慶? どうしましょう家慶様! って、死んでるっ!? うそーーん!! (12th家慶 退場)
と、テンパる阿部ッチ。そりゃ誰だってパニクりますわ。とても自分ひとりじゃ背負いきれない案件なので、薩摩藩主の「島津斉彬(なりあきら)」をはじめとする各諸大名から「勝海舟」や「ジョン万次郎」みたいな変わり種まで、とにかく幅広く意見を求めることにする。ちなみに、いろんな人から意見を聞くというのは、単にテンパッたと言うより、実は古い慣例を破った革新的な手法でもあった。
だって将軍は親子そろって頼りにならんし、老中だけだと海防のリアルを分かってないし、外国事情もよう知らんし「みんなの情報や知恵を持ち寄ってオールジャパンでこの問題に対処しようぜ!」ってスタンスなのだから、別にすごく間違ってたわけじゃない。むしろ、とっても民主的なやり方でもあったわけで。
ただ、運命の悪戯か、この時代に水戸の「徳川斉昭(なりあき)」がいたのがマズかった。この稀代の出しゃばり野郎が、もうひと世代前か後に生まれてくれてりゃ良かったものを、よりにもよって、このタイミングで水戸藩主に収まってたのが徳川幕府の運の尽き、と言って良いだろう。むしろ逆に、徳川家を滅ぼすために、斉昭という奇人は生まれてきた、と言っても決して過言ではない。
⚫︎ 矛盾を孕んだ思想と人格・ザ・斉昭
水戸と言えば、納豆と黄門様。水戸黄門と言えば、イコール水戸の光圀公。光圀公と言えば『大日本史』。てことで、水戸と言えば、光圀公が残した『大日本史』という膨大すぎる無限宿題のせいで生まれた「水戸学」なる独自の思想が根付いていた。
日本史を研究すればするほど「日本の中心は天皇」となる。となると今の武家社会と矛盾する。矛盾するので「幕府は天皇から政を任されいる=体政委任論」なる考え方で矛盾を誤魔化すものの、結局は「天皇の方が幕府より上という思想=尊王論」になる。これに「外国との通商反対や、外国を撃退して鎖国を通そうとしたりする排外思想=攘夷論」が合体して「尊皇攘夷論」が出来上がる。
水戸の斉昭は、この「尊皇攘夷」論者であった。そのため口を開けば「開国なんてもっての他!意見を聞くならまず天皇のご意思を仰げ!」と繰り返す。そのくせに自分は人の意見に聞く耳持たずで、明確なビジョンもなく、落とし所も用意しない。故に議論が着地しない。ただ攘夷派を煽って「異国船など打ち払え!」と言うばかり。おかげで大衆は開国派より攘夷派が多くなってゆく。
⚫︎ 攘夷派から開国派に転換した井伊直弼
つーかさ、オレだって鎖国維持が一番だと思うよ。思うけどさ、現実問題この技術力とか、軍事力の差は歴然じゃん。今ケンカ売ったらボコボコにやられて、それこそ清みたいに国を乗っとられ兼ねないじゃん。先に頭に銃を突き付けられてんのに、後から脇差し抜いても、もうどーしよーもねーんだから、どっかのバカみたいに攘夷、攘夷と今さら言ってたって始まらねーよ。
だしさ、ヤダけど今は一回あっちの言うこと聞くべきだろ。とりあえず、お望み通り開国して、技術力差も軍事力差もなくなるくらい追いつく日が来たら、またそん時に再び鎖国って手もあるさ。だからオレ開国派になるわ。現実みたら今はもう開国するしか道はねーし。だからバカと話し合うだけ時間のムダ。庶民に悪影響だから誰かあのバカ斉昭、黙らせろって。
⚫︎ 板挟みになり心労のかかる阿部ッチ
(画像は『黒船渡釆お固めの図』安政元年、ペリーが再度釆航したとき、諸藩は江戸湾の警備にあたった)
直弼サマの意見に、ごもっともと頷く阿部ッチ。てか、元々それしかないのにバカ斉昭の意見なんか聞くんじゃなかった、と後悔するが、時すでに遅し。広く意見を募ったことが裏目に出て、幕府の専政制は崩れ、諸大名が日本の行く末について独自の考えを示すようになってしまった。しかも12th家慶のとっつぁんが、せっかく謹慎させてたモンスタークレーマー斉昭を、完全復活させてもうた。これは痛い。
やむなく攘夷派をなだめる意味でも、江戸湾の守りを固めるべく、超特急で台場を建設したりしてると、、「まだ1月だけど来ちゃったw」と、予告より早くペリーが再び黒船で来る。。「!? 春って言ってたのにぃ!」焦る阿部ッチ。でも、江戸湾の守りが去年より急に堅固になっててペリーも少し焦ったらしく、横浜に場所変えてくれて良かった。しかし、来ちゃったからには追い返せないし、ひとまず貿易なしの「日米和親条約」を締結。これにて、下田と函館の港が開かれることに。
すると「お、解禁か」とボジョレー感覚で、ロシアやイギリスまでやって来て、次々と条約を結ぶハメになってしまう。そんな事態に、水戸のバカ斉昭ら攘夷派は大激怒。阿部ッチに圧力をかけ、開国派の老中「松平乗全(のりやす)」「松平忠優(ただかた)」の2名を罷免させる。それに対して、今度は開国派の井伊直弼サマがブチ切れ。板挟みになった阿部ッチは、泣きながら「責任とってボクが首座から降りますんで堪忍してー」と、開国派の「堀田正睦(まさよし)」に老中首座を譲り、翌年には心労が祟って死んでしまう。(阿部正弘 退場)
⚫︎ 風よけにされた堀田さん
阿部ッチの批判かわしで矢面に立たされた堀田さんを待っていたのは、アメリカ初代総領事タウゼント・ハリスによる「将軍に会わせてよ」攻撃であった。13th家定ボーに不安を感じつつも、何とか説得して無事に実現させる。ハリスの目的は、もちろんそれだけじゃなく通商の開始にある。幕府としても「こりゃもう通商は避けられねーな」と覚悟を決め、ハリスと交渉すること14回。その間も、烈公・バカ斉昭を筆頭とする攘夷派の批判の嵐が、堀田さんにビュービューである。
老中首座とは言え、条約締結するには御三家とも評議は尽くしたとの形をとらねばならない。しかし、水戸のバカ斉昭が条約調印に断固反対。しかも「堀田は腹を切らせ、ハリスは首をはねろ!」と言い放つ有様。堀田さんも頭に来て「テメー!いくら徳川家だからつっても何様だコノヤロー! 日本はもう、開かねば食ってはゆけぬ国なんだよっ、そんくらい分かれバカヤロー!」と、心の中で言い放ち返す。
「そんなら勅許(天皇の許可)を得ちゃえば、あのバカ斉昭も文句は言えまい」と考え、天皇の許可をもらいに行ったところ「もう一回みんなでよく話し合って意見統一してからまた来てたも(てゆーか基本開国反対でおじゃ)」と、断られてしまう。下手に朝廷の許可をもらいに行ったせいで、逆に許可もらわないと開国できない状態に陥る堀田さん(笑)いや、笑いごっちゃない。あっちでハリスが「ねーまだー?」て顔してる。。
と言うわけで、事態の打開をはかるため、井伊直弼サマに「大老」という強権に収まってもらい、開国派と攘夷派の対立問題の決着を試みるのであるが、、はたして。(堀田正睦 退場)
いやはや、面白くなって参りました。ここまで意見や思想が真っ二つに割れると、もう収集がつきませんな。どちらかが、もう片方を完全に叩きのめすことでしか決着つかないでしょコレは。さながら関ヶ原の戦いのごとく、天下分け目の決戦が迫って来ているようであります。観戦する側としては、この戦争前夜が一番興奮しますねぇ。早くも退場者が続出ですし。
しかし、それにしても烈公・斉昭。ウザすぎる。私の身近にもひとりこんなヤツがおりまして、ホントうるさく理想を語るくせに、自分がアイデア出すわけでもなく、苦言ばかり呈するだけなんで、煙ったいだけ。なのに自分は「正しい指摘をした」とご満悦で、場を乱してる自覚がないからタチが悪い。幕府も大奥も、斉昭が大嫌いだったようで、この先もその禍根が影響してくるようであります。
バカ斉昭さえいなければ、阿部ッチも堀田さんも下手こかずに済んだのではないだろうか。結果論からすると、阿部ッチがみんなの意見など募らず、堀田さんが天皇の許可なぞ求めず、将軍と幕閣のみの判断で開国に向けて進んでいれば、徳川家は滅びずに済んだかもしれない。なんせこの序盤の2つの悪手によって、すでに幕府の「詰み」は確定してしまった感がある。
ま、やっちまったもんは仕方ないし、ここから大老・井伊直弼サマが、どうリカバリーしてくのかが見ものでおます。ガンバレ直弼サマ!
参考
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/阿部正弘
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/堀田正睦
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/井伊直弼
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