vol.102「薩英戦争」について


青コーナー、今は亡き伝説のイノベーションCEO島津斉彬の意志を継ぎ、密貿易で稼いだ金にものを言わせて日本で最も国防に力を入れてきた、ザ・雄藩オブ雄藩、日本ランキング1位、サツマーー、ハーーン!


赤コーナー、あのナポレオンをも制した世界の覇者、産業革命が産んだヴィクトリア朝黄金時代の真骨頂、ザ・ワールドチャンピオン、イーギーー、リーー、スーー!!


さあ、いよいよ日本人は大注目の夢のカードが今まさに始まろうとしていますが、これ世界的にはどうなんでしょう?


う〜ん、そーですね〜(一人芝居)まあ誰が見てもチャンピオンの圧勝でしょうから、日本以外はそんな緊張してないと思います。ただ、日本の実力って鎖国によってこれまでベールに包まれてきましたからね。果たしてどれくらいのポテンシャルを秘めているかを見る意味では、気にはなるところなんじゃないでしょうか。


なるほど、日本にとっては「元寇」以来となる正式な海上防衛戦ですからね。武器や戦法がどう変化しているのか、チャンピオン側もデータが手元に無いわけですね?


そうですね〜(一人芝居)ま〜厳密には、秀吉の朝鮮出兵とか、蝦夷地でのロシア戦とかありましたけど、ぜんぜん参考にならないですからね〜。それに、日本には「神風」っていう不思議な力もありますんで、イギリスとしても攻め方を決めきれてない部分あると思います。


ありがとうございます。圧倒的に不利な組み合わせに対して、薩摩がどんな戦い方を魅せるのか、はたまた大番狂わせを成し遂げるのか、日本中が固唾を飲んで見守る注目の一戦。イギリス艦隊もが完了し、まもなくゴングです!




⚫︎ 第1R 様子見


横浜港から出港し、1863年(文久3年)6月28日、ニール率いる7隻のイギリス艦隊は、市街地からわずか1kmの地点に停泊し、薩摩藩に圧力をかける。どうやらイギリスは、あくまで武力で威圧しつつ、要求を飲ませる戦法の様子です。要求とは「薩摩藩へ直接犯人の処罰と、2万5,000ポンド(約50億円)の賠償金の支払い」であります。


まあ、セオリーですね。江戸幕府もこの戦法にビビって賠償金払いましたし、よほどのアホでない限り、わざわざチャンピオンと撃ち合いに臨んでは来ませんからね〜。


一方、薩摩藩では、イギリスが来ることを予期し、砲台や大砲を増やし、遠見番所を設けるなどいつでも戦える体制を整え、イギリス艦隊を待ち構えています。薩摩藩は、まずイギリス艦隊へ使者を送り、来航した意向を確認しつつ、すかさず「書面のやりとりでは交渉が進まないため、上陸して交渉してほしい」と要請。これはスマートな切り返し。


これは上陸してきたらニールを拘束する作戦でしょうね。しかし、ニール達は薩摩藩を警戒してますので、上陸には同意しません。ここまでは薩摩も想定内の捨てジャブと言ったところでしょう。


おっと、今度は薩摩藩、スイカ商人に成りすました藩士(スイカ売りの決死隊)が小舟でイギリス艦に近付いて行きますよ。これは一体?


う〜ん、どうやらイギリス艦が薪水や食料を求めたのを利用した隠密作戦のようですね。スイカ商人に扮してるのは、海江田信義黒田清隆大山巌ら、みな剣の腕の立つ藩士たちです。船に乗り込んだら、隠していた刀を振り回して、艦を奪い取るつもりじゃないでしょうか。


あー、しかし警戒されて乗船は成らず、失敗です。さすがチャンピオン、ガードが固い。それから7月1日、ニールは島津家の使者に対し「要求が受け入れられない場合は武力行使に出る!」と通告。迫力あってヒヤッとする一発が返ってきました。


ええ、これには島津家もさすがに開戦を覚悟しましたね。当主・島津茂久と島津久光は、鹿児島城が英艦隊の艦砲の射程内のため、新たな本営「千眼寺」に移りました。併せて、上町・下町の町人地域にも避難指示を出した模様です。


様子見が終わり、小手先の戦略は通じないとお互い理解し、本気モードに入ったところで1R終了のゴング! 次のRで先に仕掛けるのはどちらでしょうか。目が離せません!




⚫︎ 第2R 奇襲と奇襲


おーっと! 先に動いたのはイギリス! 薩摩藩が欧州から購入した蒸気船3隻を抵当に賠償交渉を有利に進めようと、7月2日の早朝、蒸気船3隻の舷側に接舷するとイギリス艦から50, 60人の兵が乱入! 薩摩蒸気船の乗組員が抵抗すると、銃剣で殺傷するなどして3隻の乗組員を強制的に陸上へ排除して船を奪取しました!


早朝にイギリス側からの奇襲は意外でしたね〜。天佑丸の船奉行添役「五代才助」や、青鷹丸の船長も、捕虜として拘禁されちゃいましたし、捕獲された3隻はイギリス艦コケット号、アーガス号、レースホース号、各艦に1隻ごと結わえられて牽引されてます。これはいきなり屈辱的な展開です。


これに対して薩摩藩は「宣戦布告もなしに我が船を掠奪するとは何事か!」と開戦と決し、一斉にイギリス艦隊へ砲撃開始! これにより、世界最強とも言われていたイギリスと、日本の地方政権でしかない薩摩藩の火蓋が切って落とされました!


薩摩の砲台から撃たれても、イギリスは距離を取れば大丈、、あ! なんと対岸の桜島側から眼下のイギリス艦パーシュース号に対して砲撃が! これはイギリス側の事前データに無かった情報。この砲台の存在を知らなかったパーシュース号の艦長は、桜島からの命中弾に慌てふためき、錨の切断を下令すると、艦はその場から逃走。薩摩の強烈なカウンターパンチ炸裂ですね〜!


不意を突かれたキューパー提督は、艦隊の戦列を整えるために、桜島小池沖の艦隊5隻へハボック号一艦のみを残し、薩摩船3隻の焼却命令を信号により発令。イギリス側の乗組員は天佑丸、白鳳丸、青鷹丸から貴重品を略奪すると、砲撃を行った上でこれらの蒸気船3隻に放火し、ハボック号が焼却・沈没を見届けました。




⚫︎ 第3R 激しい撃ち合い


さぁ、こうなると撃ち合いです! イギリス艦隊は戦列を整え、最新式のアームストロング砲で陸上砲台に向かってバンバン砲撃。これに対して薩摩の砲台・台場からの応戦による大砲の発砲は数百発に及び、接近する艦隊に小銃隊も砲撃の合間を縫って狙撃を行っています!


薩摩側の砲撃はイギリス艦隊の砲に比べると射程が短く、性能も劣っているのですが、この日は朝から台風による暴風雨が吹き荒れ、海上も大荒れという状態。イギリス艦隊は反撃を浴びせたものの波が荒く、大砲の照準をうまく定められずに本来の実力を発揮できてない感じでしょうか。荒天や機関故障により操艦を誤って砲撃を浴びるなど、これは薩摩に有利な展開ですね〜。


あーっと! ここで薩摩の弾丸がユーライアラス号の甲板に落下! 居合わせた艦長や副長などの士官が戦死しました! キューパー提督も、その場から撃ち倒されて転落するも、これは左腕に傷を負ったのみで助かった様子。しかしショックは大きく、痛みと怒りに顔を歪めています!


いや〜薩摩、大健闘ですね。お次はレースホース号が、折からの強い波浪や機関故障により吹き流され、砲台手前の200ヤードで座礁してますよ。そのせいで船体が大きく傾き、大砲の発砲が出来なくなって小銃で砲台への攻撃を行ってますね。これは狙い撃ちされますよ〜。


しかし、薩摩の砲台も大破していて、なかなか追撃できません。そうこうしてるうちに、コケット号、アーガス号、ハボック号がやってきて、座礁したレースホース号を引っ張る。と、そこへ薩摩の砲撃3発がアーガス号に命中! 被弾しながらも何とかレースホース号救出に成功たところでゴング! チャンピオン、まさかのピンチです!




⚫︎ 第4R 王者の逆襲


ここまでの採点ですと薩摩かなり押してましたが、イギリスがようやく体勢を立て直し、距離を取るようになってきました。薩摩のパンチの射程外です。王者のパンチは届きますので、今度は薩摩が不利な状況ってことでしょうか。


間違いないですね。ほら遠距離からの大砲やロケット弾の雨にやられて「集成館」一体が燃え始めましたでしょ。これは防ぎようがないですからね〜。


お次は、上町方面の城下で火災が迫り、民家(350余戸)、侍屋敷(160余戸)、寺社(浄光明寺、不断光院、興国寺、般若院)などの多くが焼失! 薩摩、火の海です! これは辛い!


序盤、薩摩をナメてて思わぬダメージを受けたイギリスでしたが、いよいよ本領発揮してきましたね。一晩明けて7月3日、艦隊は戦列を組んで市街地と両岸の台場を砲撃。市街地もどんどん延焼させてます。うわっ!台場の火薬庫が大爆発です。薩摩ここは耐えどころですよ〜。




⚫︎ 第5R 大逆転の一発


武器と技術の差を見せつけられて、やはり一方的な展開になってきましたが、ここから薩摩が再び盛り返す方法はあるのでしょうか?


あります。アレ見てください。沖小島と桜島の間付近に、島津斉彬の時代に集成館で製造した「電気点火装置付きの水中爆弾3基」が仕掛けられてます。地上から遠隔操作で爆発させようと、まさに今、待ち伏せ部隊が息を潜めてイギリス艦隊が近付いてくるのを待ってますよ〜。


なんと、そんな隠し玉があったのですね。これが見事に炸裂すれば、イギリス艦とて撃沈の可能性がありますね。そうとは知らず、どんどん近づいてゆくチャンピオン。仕掛けられた水中爆弾まで、あと少し! 大逆転なるかっ!?


あっ、沖小島台場がヘタに一斉砲撃を始めたせいで、イギリス艦隊が進路を変更して離れて行っちゃいます。一発逆転の大チャンスが、、消えました。待ち伏せ部隊、地団駄踏んで怒ってます。台場部隊と作戦を共有してなかったのでしょうね〜。


無念です! 7月4日、イギリス艦隊は「こっ、今回はこのくらいにしといてやるよっ」と言わんばかりに、一通りの攻撃を終了。弾薬や石炭燃料の消耗と、多数の死傷者が出たため、薩摩から撤退し、横浜へと帰って行きました。と、ここで試合終了の合図です! 勝敗は判定に持ち込まれました。




⚫︎ 判定結果


薩摩側の物的損害は、台場の大砲8門、火薬庫の他に、鹿児島城内の櫓、門等損壊、集成館、鋳銭局、寺社、民家350余戸、藩士屋敷160余戸、藩汽船3隻、琉球船3隻、赤江船2隻が焼失、と、軍事的な施設以外への被害は甚大であり、艦砲射撃による火災の焼失規模は城下市街地の「10分の1」になります。


ボロボロですね。対してイギリス側の物的被害は、軍艦7隻のうち大破1隻、中破2隻、だけ。しかも自分たちで修理して横浜まで全艦ちゃんと帰りましたからね〜。いかにイギリス艦隊が強いかが非常によく分かる結果となったんじゃないでしょうか。


まったくです。けれども、おやおや? 薩摩の人的被害は意外に少ないですよ。砲台での死亡者は1人だけで負傷者は8名。市街地で流れ弾に当たった守衛兵が3名死亡、5名が負傷。あれだけ攻撃されて、これだけの被害なら随分マシなんじゃないでしょうか?


まさにそこなんです。壊れた建物はまた建て直せば良いことですが、人の命や体はそうはいきません。イギリス側は死者20名に、負傷53名、死者の中には旗艦ユーライアラス号の艦長ジョンスリングや、副長ウィルモットも含まれますし、人的被害ではイギリスの負けとも言えますよ〜コレ。


要するに、イギリスにとって「割の合わない損害」を薩摩が与えたという形ですね。それに加えて、石炭や砲弾も不足してきたから、自ら戦闘打ち切りとして帰っていったのでしょうか?


それもありますが、捕虜にした「五代才助」から「上陸戦では勇猛果敢な薩摩隼人に苦戦は必至である」と聞かされ、これ以上の深追いは危険と判断したのでしょう。実際、その判断のおかげで水中爆弾の餌食になることは避けられましたからね〜。


確かに。お互いにこれ以上戦っても無益であると悟った段階で、再び交渉再開ってわけですね。となると、この勝負の判定結果は?


今回は薩摩の大健闘により「ドロー」ですね〜。イギリスは油断があったとは言え、薩摩、いや、日本人の底力と胆力にはド肝を抜かれたんじゃないでしょうか。なんせ旧式の装備でここまで対等に渡り合ったんだから、その意味では、薩摩が世界王者を圧倒した戦いだったと言っても良いでしょう。


素晴らしい! 薩摩、世界の予想を覆す快挙です! これでイギリスのみならず他の列強国たちも「日本を力でねじ伏せるのは、文字通り骨が折れるぞこりゃ」と認識したに違いありません。やったぜ薩摩! 偉いぞ薩摩! でも戦争は良くありませんので、ここからは「交渉のテーブル」というリングに舞台を移して、ぜひ引き続き戦ってください。本日は、実況解説にお付き合いいただき、ありがとうございました。


ありがとうございました(一人芝居)


一般社団法人 江戸町人文化芸術研究所

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