vol.128「ええじゃないか」について


「ええじゃないか」について調べようとすると、まず富士急ハイランドが邪魔をしてくる。2006年7月に登場して以来、コースターの常識を覆すような変則的な動きでファンを増やし続けている絶叫マシン「ええじゃないか」は、乗車中に「座席が前後方向に回転する」「ループして大宙返り」「ひねりが入って回転する」という3種類の回転があり、総回転数14回転は開業当時、世界記録に認定されたそうな。


と、余計な知識を増やしつつ、再検索して概要をサラッと調べてみると、、↓


「ええじゃないか」は、1867年(慶応3年)8月から12月にかけて、日本各地で空から御札が降ってくるという現象が起こり、それを喜んだ人々が「ええじゃないか」と唱えながら踊り続けたという騒動。


誰がこのようなことを始め、なぜ一気に全国に広がり、どのように終息したかは諸説あり、よく分かっていない。一般的には、幕末の行き詰まった世相や、各地で相次ぐテロ事件、苦しい生活などでストレスを蓄積した民衆が、世直しを切望して同時多発的に起こしたものと解釈されている。


一方、江戸幕府を倒そうとする人々が、自分達の工作活動から江戸幕府の目をそらせるために起こしたという説もあり、本当のことは今も分からないままである。


↑ 、、だそうだ。


何なんだその謎ムーブメントは。。大昔の出来事でもないのに歴史研究者の方々が最終的に「分かんね」と匙を投げて終わってるって、結構すごいことだと思うんだが。


ちなみに「ええじゃないか」に関する書籍を紹介する講談社のページでも、、↓


「ええじゃないか」は、江戸時代末期に起こった民衆運動です。しばしば「狂乱的」と評されるように、その様子は異様なものでした。男性は女装し、女性は男装し、奇抜な仮装をした人が大勢あつまり、口々にええじゃないかと唱え、歌い踊りながら町を歩みました。騒動は三日三晩、ときには一週間続いたといいます。無銭飲食が横行し、日常生活はまともには運営されませんでした。これが260年続いた徳川の世を終わらせ、薩摩と長州を中心とした新しい政治スタイルを呼び込む一因となったと言われています。


以上が「ええじゃないか」の概略ですが、自分が備えていた知識もこの程度にすぎませんでした。理由は明白です。「ええじゃないか」をいくら調べても、歴史のメインストリームにたどりつくことができないからです。ここには徳川慶喜も、勝海舟も、西郷隆盛も、坂本龍馬も――幕末を彩った英雄は誰ひとり登場してきません。彼らひとりの事跡を調べるだけでも、この時代に何があったかぼんやりと了解できるでしょう。しかし、「ええじゃないか」にそれは望めません。


それゆえ、「ええじゃないか」はほとんど取り上げられることがありませんでした。幕末の政治不安を象徴するものとして、各地で起きた一揆や米騒動といっしょに語られるのが関の山でしょう。


しかも、この運動には、ハッキリした目的がないのです。学生運動(左翼運動)はちがいました。安保反対とか、岸内閣打倒とか、明確な目的を持って展開されていました。すくなくとも、「それを現実にしなければならない」という使命感は、運動のリーダーたちに共有されていたものと思われます。


ところが、「ええじゃないか」にはそれがありません。ただひたすらに踊り狂い、歌い歩くのみなのです。


↑ 、、とあるように、2025年ともなろうに未だその謎が解明されていないようだ。たぶんもうずっと無理なのであろう。これ以上なんか資料が出てくることも期待できないし、出てきたところで首謀者などはいなさそうだし、もはや永遠に謎のままっぽい。むしろ、邪馬台国の場所特定する方が可能性高そう。


ってことで、とりあえず分かってることだけ以下にまとめとこ。




⚫︎ いつ始まり、いつ終わったか


1867年(慶応3年)8月4日、三河国(みかわのくに:現在の愛知県東部)にある東海道の御油(ごゆ:現在の愛知県豊川市)宿で、「秋葉神社」(あきばじんじゃ:火伏[火災を防ぐ]の神様、静岡県浜松市)の御札が降ってきたために、人々が大いに喜んだという記録がある。これが、ええじゃないかの始まり。その後、ええじゃないかは一気に全国に拡大する。


10~12月にかけては、尾張国(おわりのくに:現在の愛知県西部)から伊勢国(いせのくに:現在の三重県北中部)一帯、東は横浜・江戸・甲斐国(かいのくに:現在の山梨県)・信濃国(しなののくに:現在の長野県)、西は京都・大坂(おおさか:現在の大阪府大阪市)から安芸国(あきのくに:現在の広島県西部)まで、実に全国31ヵ国に広がりを見せる。


しかし不思議なことに、討幕派の拠点である、長州藩(ちょうしゅうはん:現在の山口県萩市)などの西南日本地区と、また逆に親幕派の諸藩が多い東北日本地区では発生していない。


この騒動の掛け声は、全国共通で「ええじゃないか」だと思われがちだが、実は人々の掛け声も1種類ではなく、地域によって異なっていた。


「日本国の世直りはええじゃないか、豊年踊りはおめでたい」

(阿波:あわ、現在の徳島県阿波市)


「長州がのぼた、物が安うなる、えじゃないか」

(西宮:にしのみや、現在の兵庫県西宮市)


こうした掛け声は西国に多く、発祥の地と言われる東海地方では、特定の掛け声について記録されていない。


また、人々はただ踊るだけではなく、ええじゃないかと唱えながら金持ちの家に押し入り、家具などを強奪した地域があれば、「日光東照宮」の葬儀を模した仮装行列を行い、江戸幕府の滅亡を暗示した地域もあったという。


この騒動は、1867年(慶応3年)の10月に、江戸幕府15代将軍「徳川慶喜」が、政権を朝廷に返上する「大政奉還」を行うと、次第に沈静化へ。


翌1868年(慶応4年/明治元年)の1月に、朝廷主導の明治政府発足を宣言した「王政復古の大号令」が出されたあとには、ほとんど終息している。




⚫︎ ええじゃないかとは何だったのか


発生当時、この騒動は各地で「お下り」(おくだり)・「御札降り」(おふだふり)・「おかげ騒動」・「大踊り」・「雀踊」(すずめおどり)・「チョイトサ祭り」・「ヤッチョロ祭り」などと呼ばれていた。「ええじゃないか」という用語で定着したのは意外と新しく、後年の1931年(昭和6年)のこと。


このとき、ええじゃないかの定義として、①発端は神の御札が降ってきたこと、②降ってきた御札を祀る、③数日にわたって祝宴が行われる、④男性の女装、女性の男装など性的規範の無視、⑤「ええじゃないか」などの掛け声を繰り返して踊る、⑥最後は領主側の命令・指導によって鎮静化する、という6つの特徴が定められた。


他にも江戸時代には、「伊勢神宮」の御札が空から降り、全国からそれを祝して多くの人が伊勢参りをするという「お陰参り」が定期的に発生。ええじゃないかが、お陰参りに影響を受けたことは確かだが、2つは別物と考えられている。


伊勢神宮の御札が降るおかげ参りと違い、ええじゃないかの御札は地域で信仰されている社寺の御札が降ったため、現地で祭祀が行われる事が多かった。降札があると、藩に届け出た上で屏風を置く、笹竹で家を飾る、酒や肴を供えるなどして町全体で札を祀った。名古屋の場合、降札後の祭事は7日間に及び、その間は日常生活が麻痺した。


その目的や性格を巡っては、様々な議論がなされてきた。囃子言葉と共に政治情勢が歌われたことから、世直しを訴える民衆運動であったと一般的には解釈されている。


これに対し、倒幕派が国内を混乱させるために引き起こした陽動作戦だったという噂を紹介するものもある。羽仁五郎は、ええじゃないかの混乱の中で王政復古のクーデターが行われたことに注目し、背景に西郷隆盛の策謀があるとの説を提示した。


こうした見解は遠山茂樹らにも受け継がれたが、同じマルクス主義者である井上清は「封建制の矛盾の鬱積により民衆が起こした行動」に倒幕派が乗じることで、結果的に権力側を麻痺させた、として唯物史観の観点からその性格を捉え、積極的に評価した。


この騒ぎのおかげで、討幕派が暗躍しやすくなったことは確かであったが、討幕派が世の中を混乱させるために仕組んだという説は、想像の域を出ていない。


いずれにせよ、歴史的に「ええじゃないかとは何であったか」という定説はない。




⚫︎ 歌詞


岩倉具視の『岩倉公実記』によると、京の都下において、神符がまかれ、ヨイジャナイカ、エイジャナイカ、エイジャーナカトと叫んだという。八月下旬に始まり十二月九日王政復古の大号令発令の日に至て止む、とあり、明治維新直前の大衆騒動だったことがわかる。また、ええじゃないか、の語源は、京の都下で叫ばれた言葉であったようだ。


歌詞は各地で作られ、例えば「今年は世直りええじゃないか」(淡路)、「日本国の世直りはええじゃないか、豊年踊はお目出たい」(阿波)といった世直しの訴えのほか、「御かげでよいじゃないか、何んでもよいじゃないか、おまこに紙張れ、へげたら又はれ、よいじゃないか」(淡路)という性の解放、「長州がのぼた、物が安うなる、えじゃないか」(西宮)、「長州さんの御登り、えじゃないか、長と醍と、えじゃないか」(備後)の政治情勢を語るもの、などがあった。


島崎藤村『夜明け前』では以下の例が記述されている。


ええじゃないか、ええじゃないか

挽いておくれよ一番挽きを

二番挽きにはわしが挽く

ええじゃないか、ええじゃないか

ええじゃないか、ええじゃないか

臼の軽さよ相手のよさよ

相手かわるなあすの夜も

ええじゃないか、ええじゃないか

ええじゃないか、ええじゃないか

こよい摺る臼はもう知れたもの

婆々さ夜食の鍋かけろ

ええじゃないか、ええじゃないか




、、、以上、結局よう分からん話なので、こんなもんでええんじゃないすかね。要するに、人民的にも長く続いた徳川体制の終わりを肌で感じて、いわゆる世紀末的なお祭りムードが一気にブワッと広がっちゃったって感じかと。ほら「恋するフォーチュンクッキー」とか「星野源の恋ダンス」を踊ってみたブームと同じなんじゃないすかね。


違うか。




参考
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ええじゃないかhttps://news.kodansha.co.jp/books/8991#:~:text=「ええじゃないか」は、江戸時代,週間続いたといいます%E3%80%82https://www.touken-world.jp/history/history-important-word/ejanaika/

一般社団法人 江戸町人文化芸術研究所

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