上司「こいつぁひでえな。で、情報は」
はい、ご報告します。ガイ者の名前は「坂本龍馬」32歳。土佐藩出身の脱藩浪士で、ちょうど殺害された日(慶応3年11月15日)が誕生日だったようです。ガイ者は薩摩や長州の間を取り持ったり、土佐藩を通じて幕府に大政奉還を促したりと、あちらこちらを飛び回るコウモリ的な動きをしていたことで有名で、各方面から命を狙われていたとか。以前にも寺田屋にて暗殺されかけ、その時は命からがら逃げおおせたそうですが、今回は逃げる間もなかったようですね。
もうひとりのガイ者は「山田藤吉」という名の元力士で、坂本の用心棒兼世話役だったそうです。坂本を訪ねてきた来客に応対し、案内しようとしたところを背後から斬られて死亡しました。
唯一の生存者の名は「中岡慎太郎」30歳。坂本と同じく土佐藩の脱藩浪士であります。現場に居合わせ、両手足など11箇所を斬られて瀕死の状態でしたが、ひとまず一命は取り留めたため、事件の様子を詳しく供述してくれました。しかし、出血多量で次第に衰弱してきておりまして、もってあと1日かと。
中岡の供述によれば、坂本が近江屋を定宿とするようになって1か月ほどしたこの日、中岡が近江屋に坂本を訪ね、2階の8畳間で、坂本と話し合いをしていたそうです。内容は『前年に三条大橋で幕府の制札を除去しようとして新選組に重傷を負わされ、壬生屯所に収容されていた土佐の脱藩浪士「宮川助五郎」が放免されて出てくる事にあたっての引き取りの処遇について』であったといいます。
坂本と中岡が雑談したまま、午後7時になった頃、河原町四条上ル東側にある書店「菊屋」の小僧「峰吉」が訪ねてきます。中岡は、近江屋へ来る前に菊屋に寄り、峰吉に「薩摩藩御用達の店『薩摩屋』に手紙を届け、その返事を『近江屋』に持ってこい」と命じています。峰吉はその中岡への伝言を持って近江屋へやって来たのでした。
しばらくすると、土佐藩横目付の「岡本健三郎」が訪ねてきて雑談に加わりました。さらに、文人志士であり、志士たちに多額な金銭援助をし、在京の志士から慈父の如く敬慕されていた「板倉槐堂」が来訪し、自筆の掛軸を龍馬に贈呈し、板倉のみ帰ります。
なお、この掛軸は、坂本が暗殺された際の血痕が付着しており、将来なんとなく重要文化財になりそうな気がするので、大成に保管しておきます。
午後8時ごろ、坂本が「腹が減った。軍鶏を買ってこい」と峰吉に命じます。軍鶏は土佐の名産であり、坂本は軍鶏肉を使った温かい鍋料理が大好物だったそうです。この日は、11月の真冬の寒さであり、風邪を引き熱も出ていた坂本にとっては火鉢だけでは心もと無かったのでしょう。
坂本の軍鶏鍋には中岡も賛同し、岡本にも是非食べていくように勧めましたが、岡本は「ちょっと」と遠慮したそうです。それは下宿している四条河原町下ルの薬屋「亀屋」に戻るためでした。岡本は「亀屋」の娘と恋仲になっていたそうです。流石にこれを引き止める事は出来ず、岡本は軍鶏を買いに行く峰吉と一緒に「近江屋」を出ることになります。
はじめは下男の山田藤吉が軍鶏を買いに行くと申し出ましたが、峰吉のほうが若いし脚も速いからという理由で峰吉が軍鶏を買いに行くことになりました。これで、峰吉は「近江屋」を離れ、襲撃事件を免れることになります。
峰吉が軍鶏を買いに行ったのは、岡本が向かう「亀屋」と同じ四条河原町下ルにある「鳥新」という店でした。峰吉が「鳥新」に行くと、「すぐに軍鶏をつぶすから、しばらく待ってくれ」と主人に言われ、2.30分ばかり待ち、買った軍鶏を持って「近江屋」へ引き返します。
峰吉と岡本が出ていって間もなく、「近江屋」の店先にひとりの武士が姿を見せました。ちょうど爪楊枝を削っていた藤吉が対応すると、大きな名札を差し出しました。
「拙者は松代十津川郷士だが『才谷先生』にお目にかかりたい、ご在宅か」
大和十津川の郷士たちには坂本も知人が多いことを藤吉は知っていたうえに、坂本の変名である『才谷梅太郎』の名前で訪ねてきたので、藤吉はこの武士は龍馬の知人であるだろうと考えました。
「少々お待ち下さい」
藤吉は名札を手に階段をのぼりはじめました。藤吉の様子から二階に坂本龍馬がいることを十津川郷士は確信し、続いて複数の刺客も外から土間に飛び込びました。刺客達は藤吉の後ろからそっと階段を駆け上がります。
刺客たちは階段を上がりきると、そこで一気に藤吉を後ろから袈裟に斬りつけ、藤吉は階段から音を立てて倒れました。
「ほたえな!」
叱ったのは坂本でした。「ほたえな!」とは、土佐の方言で「騒ぐな」の意味であります。坂本は、元相撲取りだった藤吉が「近江屋」の店の者と遊んで相撲を取り、倒れた音だと思ったのだそうです。
先ほど藤吉を斬った刺客達は、刀を鞘に収めて、なに食わぬ顔で坂本のいる部屋に入ります。坂本と中岡は火鉢を囲んで話し込んでいる最中でした。
ですが、刺客達は二人いるうち、どちらが坂本龍馬か分かりません。
「坂本先生、ごぶさたしています」
刺客はどちらへともなく頭を下げます。すると、「どなたでしたかな」と片方の男が首をかしげました。次の瞬間、一人の刺客が、首をかしげた方の男へ「コナクソ!」と叫びながら刀を抜き打ちざまに前額部を払いました。
首をかしげたのはもちろん坂本です。この時、坂本の頭から脳漿が飛び散ります。この脳漿と血痕が、坂本の後ろに掛けてある、先ほど板倉より贈呈された掛軸に悲劇の後を残します。
驚いて屏風の陰に置いてあった刀を取ろうとした中岡も背中を斬られます。坂本も床の間に掛けてあった刀を取ろうとしたところ、向けた背中を斬られます。
さらに振り向きざま、にぎった刀で鞘ごと防ぎますが、真っ向から刀を降りおろされて致命傷を負います。坂本は斬られながらも、中岡を心配し、なお中岡を変名の『石川』で呼ぶ心遣いをしたといいます。
しかし、背中を斬られた中岡は、間に合わずに小太刀で防ごうとしましたが、下げ緒をぐるぐる巻きにしていて抜けず、抜こうとしている間に、腕、肩、胴、股など12箇所を斬られます。
ここで、刺客の一人が「もうよい、もうよい」と言ったそうです。「もうよい」とは、止めを刺さなくとも坂本と中岡が死ぬと判断したからでしょうか。血だるまになり瀕死の坂本に、刺客の一人が「何か申し置くことあらば承ろう」と聞くと、「言い残すことは沢山あるが、汝らに言うべきことは何もない。思う存分殺せ」と答えたそうです。
刺客たちの姿が消えると、坂本は脳が飛び出ながらも倒れていた体を支えて立ち上がり、中岡に「しっかりしろ」と声をかけ、八畳手前の六畳の明かり取りの欄干から、一階にいる主人に向かって「新助、医者を呼べ」叫びました。
坂本は自分よりも中岡の方が重傷だと思ったようです。しかし、一階の刺客が去るやいなや新助は土佐藩邸に知らせに走っており、家族らはまだ刺客が二階にいるかと思い、震えていました。
このとき坂本の血が一階に滴り落ち、初めて坂本は自身の重傷に気が付きました。部屋に戻った坂本は、中岡に「わしはだめだ。脳をやられた」と声をかけると、ドッと倒れ、「刀はないか、刀はないか」と呟きながら動かなくなったとのことです。
中岡は切断寸前の左足を引きずりながら、助けを求めようと八畳間を通り抜けて物干し台に出て、そこで倒れました。
以上が、現場検証記録や瀕死の重傷を負っている中岡の証言などによるものです。刺客が「コナクソ」と叫び、一刀を坂本に浴びせてから一瞬の出来事だったそうです。
上司「、、、え何キミ超優秀だね。すごい情報量じゃん、よく短時間でここまで調べたね〜。ふわ〜スゴイよホント。完璧すぎて何かドキドキしちゃったから、ちょっとひと息つかせてくれる? 続きは後編にするってことで。ね? とりあえず一回座ろ。あ〜ビックリした〜」
坂本龍馬 退場 中岡慎太郎 退場
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