vol.142「江戸無血開城」について(後編)2025.08.29 20:05西郷が徳川方の事実上の骨抜き回答という不利な条件を飲み、進撃を中止した背景には、英国公使ハリー・パークスからの徳川家温存の圧力があり、西郷が受け入れざるを得なかったとする説がある。
vol.141「江戸無血開城」について(前編)2025.08.24 20:00慶応4年(1868年)一月。勝海舟は、氷川の自宅でゴロゴロしておった。このころ名目的に軍艦奉行ではあったが、弟子の坂本龍馬が不審な動きをしていたことを咎められ、実際には閑職であったそうな。するとそこに、突然、登城せよとの連絡が。「何言ってんでぇ、俺ぁいかねえよ」まさか鳥羽伏見で徳...
vol.140「神戸・堺事件」について2025.08.19 20:10壮絶なことになってきやがった。。⚫︎ 神戸事件慶応4年1月3日(1868年1月27日)、戊辰戦争が開戦、間も無く、徳川方の尼崎藩(現・兵庫県)を牽制するため、明治新政府は備前藩に摂津西宮(現・西宮市)の警備を命じた。備前藩では1月5日までに2,000人の兵を出立させ、このうち家老...
vol.139「鳥羽・伏見の戦い」について(後編)2025.08.14 20:00錦の御旗の登場により、旧幕府勢力が賊軍と認知されるに及び、佐幕派諸藩は大いに動揺。淀藩の裏切り1月5日午後、淀城下は鳥羽街道方面から後退してきた旧幕府軍部隊と伏見街道方面から後退してきた旧幕府軍部隊が合流し、過密状態であった。旧幕府軍は淀城を拠点にして新政府軍を迎え撃つべく、淀藩...
vol.138「鳥羽・伏見の戦い」について(中編)2025.08.09 20:00激しく殺し合っております!⚫︎ 伏見方面での戦闘1月3日、伏見では本来鳥羽街道方面の指揮官であった陸軍奉行・竹中重固が伏見に転じて指揮を執っていた。竹中重固は伏見奉行所を本陣とし、会津藩兵が奉行所の北西に位置する東本願寺伏見別院を駐屯地としており、旧幕府軍部隊はこの二箇所を中心と...
vol.137「鳥羽・伏見の戦い」について(前編)2025.08.04 20:15もう、どうにも止まらない〜。⚫︎ 徳川慶喜への再入京の朝命京都から越前藩士・中根雪江や、尾張藩の者ら4、5人が大阪へきて、朝命によって慶喜へ再び京都へくるよう勧めた。慶喜は「では軽装(少数のお供だけを連れての朝議参内)で京都へ行こう」と考えたが、会津藩・桑名藩やほかの旗本の者らが...